2017年6月22日木曜日

「山本教行作陶展」最終回を終えて


山本教行様 この度も「作品提供」という形で、当店開催18回目の作陶展に御協力頂きまして、まことに有難うございました。催事終了後、こちらに残すものやお返しするものを選びながら、改めて一回の「作品展」を準備する作り手側の大変さに気づかされた思いです。
これを八女での展観も含めますと二十数回もやって頂いた訳ですから、只々感謝の他ありません。また、仕事を傍で支え続けて来られた奥様の房江さん始め、ご家族やお弟子の方々にも感謝申し上げます。細君の百子が、自宅の庭に様々な花を用意し、御作の花入れに花を生ける喜びを覚えました事も、「作品展」の始まりました1984年には想像もしなかった事です。そして、ほとんど山本さんに頼りっぱなしであった会場の「もの並べ」を通して、「売り手」の私もまた、作る“ 楽しさと喜び ”を具体的に教えて頂けた様な気がしています。


さて来る七月一日は、“ あまねや工藝店 ” 開店38周年の記念日にあたります。当日は、珈琲美々 • 吉富寿司 • あまねや工藝店、三店合同の永年継続祝いを“ 吉富寿司 ”を会場に20人程の人達と祝う事にしています。と申しますのは、昨年12月7日に“ 美々 ”の森光宗男が出張先の韓国で客死。以来、現世に於ける自分の持ち時間を強く意識する様になり、それが40周年に当たる再来年でなく38周年の今年、「三店合祝」開催を思い立った理由の一つです。ところで、今秋から来年に掛けて二人の、いずれも三十代半ばと若く元気な焼物を作る人達と催事をやる事になっています。長い間、山本さんの作られるものを眺めて来た目で見ると、彼らの造型には未だ物足りない処が多く、充分に満足は出来ませんけれども、具体的な諸々のもの(暮らし振りも含む)を通して、山本さんから頂戴した“ 物差し ”を、彼らに伝えるべく努力するつもりです。それが又、私に出来る唯一の事である様に思うのです。33年の感謝をこめて   あまねや工藝店 川口義典 拝

2017年6月5日月曜日

忘れられないもの 25 化粧陶器三種


店に並んでいる焼物をひと渡り眺めて気がつくのは、そこに並ぶ品々のうち無地の仕事は比較的少なく、焼物の表(おもて)に様々に工夫された技法で何らかの化粧を施したものがほとんどだ、と云う事です。もっとも、ここは「あまねや工藝店」なので、化粧を施したと云ってもデパートの売り場等で時に目にする、描き手の筆力が問われる写実的な花鳥風月を題材にした絵皿の様なものはありません。ここで、化粧(技法)の種類を、当店で数の多い「小鹿田(おんだ)焼」を例に、その名を挙げてみましょうか。刷毛目•打刷毛目(うちはけめ)•飛びかんな•打ち掛け•流し掛け•櫛描き•指描き•いっちん等々、これに他窯の仕事、面取り•しのぎ•点打ち•象嵌(ぞうがん)•掛け分け•押し紋•赤絵•金銀彩•三彩•搔き落とし、それにスリップウェア(練り上げ•練り込みを含む)を加えれば、現在工藝の領域で仕事をしている作り手が用いる技法の、八割方を網羅していると申し上げても良いでしょう。

しかし、当然ながら、これらの諸技法を使い安定した数物(かずもの)の日常雑器を作るには、時間を掛けた修練(高名な益子の陶芸家•濱田庄司は一種に付き一万個、と云っています)が必要です。ただ、ごく一部の技法(赤絵や染付など)を別にすれば、仕事の数をこなす事によって個々の作り手の力(技術や感性)の差が、形になる器の出来不出来に極端な影響を与えにくいのが、これら諸技法を用いる理由の一つでもあるのです。
この事でいつも思い出すのは、岡山市郊外•寒風(さむかぜ)の地にあった「寒風春木(さむかぜはるき)窯」の仕事です。親方である故•沖塩春樹(おきしおはるき)氏の作った見本を、(私が伺っていた頃は)お弟子二人が沖塩さんと共に数に移し、春と秋の年二回、六室もある大きな登り窯を焚いて、日常の食器を中心にした仕事を続けておられました。その際、沖塩さんが作られる「数に移す見本の品」の眼目は、誰が作っても個人の力(例えば親方と弟子)の差が出にくい技法を用いて食器を作る、その事です。ちなみに「寒風春木窯」で多用されていた技法は、刷毛目•しのぎ•掛け分け•指描き•いっちん•貼付け紋などで、このほか成形の際の高台の削りを、難度の高い味っぽい削りにせず、清潔な削りにするなどの工夫を加え、一貫して嫌味のない質の高い食器を作る事で、皆に喜ばれる人気の高い窯であり続けた訳です。


さて、今日御紹介する最初の品は、山陰地方で手に入れた口付きの雲助(肩径40cm 高さ40cm)です。肩に白い化粧土を見事に流し掛けています。冴えた手腕です。


次は、胴に灰釉の打ち掛けを施した丹波焼の切立の小甕です、どうと言って特別な処のない品ですが、心惹かれます(径25cm 高24cm)。


最後は白い泥奬(でいしょう)を、恐らく一•二本の筒口が付いた道具で大鉢の表面一面に流し描き、上から針の様な尖ったもので引っ掻いて作った模様(フェザーコーム)を施したイギリス19世紀の大きなスリップウェア(縦40cm 横50cm 高さ12cm)です。

2017年5月30日火曜日

最終回「山本教行作陶展」始まる


先週土曜日の27日、定期開催としては最後になる「山本教行作陶展」が始まりました。先回の催事片付けもそこそこに、10日間ほど留守をしたつけが廻って、掃除および「もの並べ」は初日前日の夕刻からで、最後の作業の値札を並べ終えたのは日を跨いで翌日午前3時を過ぎていました。150種250点程が並んでいます。初日の午前11時頃店に着くとすぐに、最初のお客様と山本さんの御入来。慌てました。何とか準備をすませて、長い初日が始まりました。

1階のぞきの模様
1階踊り場から2階にかけて
正面
棚前の舞台
珈琲碗十種
道路側と庭側の花
花入は白釉鎬水差と
象嵌扁壺
もう一つの花入れ
白釉鎬水差し
パーティーの御馳走
記念写真、三分の一の人はすでに御帰還
この日も自宅へは午前4時、疲れました

2017年5月20日土曜日

最終回「山本教行作陶展」のご案内



今月27日から6月11日までの約2週間の会期で行われる、当店に於ける定期開催最後の「山本教行作陶展」のご案内です。1984年に第1回展を開催して以来、延々33年の永きにわたって隔年で開催して来た「山本教行作陶展」を、ひとまず今回を持って最後といたします。初日の27日には山本教行さんも在廊予定で、夕刻からは一品持ち寄りのオープニングパーティーも開催いたします。どうぞこの機会にお出掛け下さい。


1984年当時、今泉にあった「あまねや工藝店」における第1回展から数えて33年。当店にとって初めて経験する個人作家の会であり、意気込んで準備に臨んだ「第1回展」の事は未だに忘れられません。以来、ほぼ隔年(2008年から八女で5回開催)で行って来た「山本教行作陶展」は18回(第0回プラス展を含む}を数え、山本さん御自身も今年で陶業50年の節目の年を迎えられました。メディアへの露出度も高く、今や「クラフト館岩井窯」は、年間来場者が1万人を数える一大観光スポットに成長。数年前には、社会への“暮らしに根ざした様々な働きかけ”に対して、「倉敷民藝館賞」が与えられるまでになりました。しかし、その結果として「岩井窯」そのもので山本作品や工房作品が不足気味になり、この際、諸処において開催していた「個展•作陶展」を整理縮小しない限り対応出来ない、との結論が出され、当店でも、今展をもって「山本展」の最終回になる旨のお知らせがありました。その事自体は非常に残念ですが、考えてみれば「地産地消」の焼物版の様なもので、「作陶活動」の一つの望ましい形かもしれません。祝意を表して最終回に臨みたいと思います。

「大坪浩遺作展 • 浦和展」本日最終日

今月10日に上京して、「大坪浩遺作展」の会場設営の手伝いをして来ました。PCを持参していなかったので、紹介が最終日の本日になってしまいました。ここ浦和会場では、展示作品点数も50点程。それらを柳沢さんが上手く案配して下さって、見応えのある会場構成になりました。まずは御紹介します。

画廊入り口にS4の「たんぼ」
会場二階から三階にかけての
吹抜壁にも鉛筆やパステルのデッサン
二階会場
三階会場左壁、小品が並ぶ
正面には三点の「たんぼ」
右壁に五点の「たんぼ • 切株」
入口右の袖壁にも4点の「たんぼ」
三階会場中央の鉛筆デッサン

2017年5月1日月曜日

大坪浩の “ 雲 ” について

大坪浩さんが繰り返し描いた画題の一つに「雲」があります。15歳まで過ごした中国東北部の広大な平原に現れる、雲や雨雲を眼にした体験が下敷きになっています。日本の風土ではおよそ考えられない目の届く限りの大平原。そこに突如現れる「雨雲」、その下だけ雨が降っている様子が見える。それを造型したのが、大坪さんの「雲」です。以下、そんな様々な「雲」を紹介します。

“旅する雲”と云う題の作 SM
この二点もSM、これはたんぼと
水路かもしれず。あしからず
“あめあめふれふれ” F4
雲(雨雲に見える) S4
元氣で闊達な“雲” F4
静かな“雲” F4

ここ30年、大坪浩の描いたモチーフは限られています。主に、たんぼ、雲、空と海、の三つです。私には、最初この絵が何だか判りませんでした。只々、美しい絵と呼ぶしかない絵です。しかし、三つのモチーフの内それが何かを考えれば、答えは明らかで「雲」以外考えられません。好きな絵を一点、並んだ絵の中から自由に選んで良いと云われたら、私はこれ、”あかね雲” F4を選びます。坂本繁二郎から学び得たものを、弟子である大坪の手で、60年近い画業の末、見事に造型された一枚の絵。明らかに、大坪浩の傑作の一つです。

“ 大坪浩の鉛筆デッサン ” について

2階正面の様子、白雲木が入りました
「大坪浩遺作展」の二日目が終わりました。今回の「遺作展」で最も数が多いのは油彩で大小取り混ぜて約20点、他にドローイング • 鉛筆デッサンによる裸婦 • パステルによる裸婦が、それぞれ4〜6点、全体で40点ほどになりました。

鉛筆デッサンによる裸婦
このうち、鉛筆デッサンによる裸婦5点のうち4点が、左手によるもの(画面に左の書き込みあり)です。わざわざ利き腕の右でなく左を使う表現自体、絵を描く人達によくある事なのかどうか私にはわかりません。大坪さん御本人は、生前左手を使う理由を、ご家族には「右手を使うと描きすぎるから」と、答えておられたそうです。
一見、奇を衒った答の様にも聞こえますが、私の知る限りの大坪さんは「奇矯」からは最も遠いところにいた人です。それから推察するに、この左手を使う理由は自らの手を縛る事で、スケッチブックの紙の上に表現される「人体表現」をより真実な表現に近づける、その事に対する大坪さんの努力であり、また敬意でもあった様に私には思えてならないのです。