2018年1月4日木曜日

忘れられないもの34 百子の花


森光宗男メモリアルコンサート
舞台袖の献花、秋の花四種

妻の百子(ももこ)が催事で花を入れるようになったのは、1984年5月に始まった「山本教行作陶展」での花活けが切っ掛けです。
と云っても、最初の2•3回( 5•6年の間 )は、友人の料理人 佐々木志年(ささきしとし)が野山を駆け廻って花材を集め、その都度、実に良い花を入れてくれました。これら「山本展」に於ける佐々木志年の花入れを傍で見ていて、この花なら私にも入れられる、そう思ったのだそうです。その後、当店の平尾移転の年の’90年春、福岡市中心部のギャラリー「エスパストーク」を会場に行われた、あまねや工藝店開店
10周年記念の「山本展」の時から、本格的に百子の担当で催事の花活けが始められた様に記憶しています。

西川孝次作の吹きガラスに
山本教行作 白釉鎬花入れ
松形恭知作 黒釉大扁壺
タイの筒ガラス花入れ
柴田雅章作 飴釉スリップ水差し

以後、催事用に自分で買ったり、幾人かの花友達(平尾の店の隣人のYさんや、福岡民藝協会初代会長 野間吉夫氏の奥さんのフキさん等)
から分けて貰った花を、挿し芽•挿し木で薮庭に増やし、それらの花々を材料にして、隔年5月開催の「山本展」ばかりでなく、当店開催の様々な催事の場に、色々な器に活け込まれた「百子の花」が姿を現す様になりました。のみならず、7•8年前からは月に一度の割で、薮庭の花を使い、数人の方々を相手に「薮庭流(やぶにわりゅう)」の花の指南も始めて、百子自身もまた教わる皆さん方も大変楽しそうです。
さて百子の、花そのものに対する嗜好は、戦後間もない60年以前の小学校2年生の頃、安房鴨川の鴨川教会に赴任して来られた、オーストラリアのレオ•ベーカー神父の「花好き」に由来します。
二十代の青年神父と一緒に花壇を作る手伝い等したりしている内に、花を育てる事の面白さ、そして花々に対する愛情を身内に育(はぐく)
んでいったのでしょう。これまで、前崎南嶂(まえさきなんしょう)さんや鼎之(ていし)さんの個展会場、さらに博多駅ビル内の店舗ディスプレイの一環で、仕事として花活けをさせて頂きました。

献花作業中
会場の中程から舞台を臨む
つのだたかし、富山みずえによるリハーサル

また近い処では、つい先日アイレフホールを会場に行われた「森光宗男メモリアルコンサート」の舞台袖に、前崎鼎之作のブリキを組み合わせた花器に数種の秋の花を入れて献花しています。この花は花器共々、舞台全体に対する物理的、視覚的な双方のボリュームがまことに適切で、印象深い美しい花になっていました。
有り難い事に、聴きに来て下さっていた幾人かの方々が目を留め、褒めて下さいました。2009年7月23日から「あまねや通信」の中で始めた「百子の花日記」、そして、ここ数年は Facebookで続けている「薮庭記」の中で、主には花を、他に周辺の様々な事を話題にして発信し続けています。

2017年12月25日月曜日

忘れられないもの33 米子で買った “坂本善三”


縦 11,5cm 横 14,2cm
岡山から島根鳥取あたりを、中古のシトロエンBXで走り回っていた25年程前の6月の事です。西に向けての帰り途、米子市内を抜ける国道9号線沿いに建つ、小さなギャラリーの一枚の看板が目に入りました。「坂本善三個展」と書いてあります。車を止め、ギャラリーに足を踏み入れると、F4位の小さめの油彩画二点、A4版の木の額に入った小さなドローイング一点、他は坂本善三の仕事としては、比較的良く知られたリトグラフ十点程の小展でした。

その日は、看板に告知された「坂本善三個展」の最終日だったのですが、どうした訳か、店内の壁に掛けられた作品はどれ一つとして売れていないのです。諸作の内、油彩画二点は小さくともさすがに高価で、手が出る値段ではありません。リトグラフは比較的買いやすい値段でしたが、心が動きませんでした。灰地の小さな紙の上に、ランダムに引かれた3cmから5cm位までの黒い短い線で構成されたドローイングは、小品ながら構成に隙がなく、かといって、窮屈さを感じさせる事もない、平面の仕事としては真に申し分のない魅力的な作品で心惹かれました。しかし、その当時ずいぶん無理をしても、私が一回に払える金額は2万円が限度で、これを一年以上に渡って払い続けなければ手に入らない、このドローイングはそんな値段だったのです。

さすがに、この申し出は無理かもしれないと思いながら、店に立つ中年の御婦人に、まず事情(旅先である事、手持ちの現金はない事、でも何とか欲しい事)を打ち明けた後、分割払いの相談を持ち掛けたのです。気持ちが顔に現れでもしていたのでしょうか。結果は、思い掛けなく交渉成立でした。しかも、(驚いた事に)作品を先に渡して下さると云うのです。このギャラリーにとって、私は馴染みでも何でもない客であり、代金にしても払って貰えない可能性があるにもかかわらず、です。ただ、今考えると理由らしき事が幾つか思い浮かびます。まず、最終日にも関わらず一点も作品が売れていなかった事。(これが大きく後押しをしてくれた事は間違いありません)次に、私の話の中に鳥取•岩井窯の山本教行さん(このギャラリーの上得意である筈なので)の名前が出て来た事。そして、(ここが一番肝腎な処です)私がまんざら悪い人間には見えなかった事。もちろん、帰り着いてきちんきちんと払い続け、無事に完済した事は云うまでもありません。

その後、熊本の小国町にある「坂本善三美術館」を訪ねてわかった事ですが、私の買ったこのドローイングは、美術館に展示してある100号程の大きな油彩画に使われているモチーフの、どうやら、習作らしいのです。ある時期ずっと店に掛け続けていましたが、見飽きると云う事がありませんでした。忘れられない小品です。

2017年12月20日水曜日

「百冬の会」もの並べ

「百冬の会」の様子が、初日にやって来たNさんが写した携帯による画像だけで、何だか良く判らない、他はどうなっているのだろう?そんな疑問はごもっともです。ご推察通り、なかなか物が並ばず、お報せ出来ませんでした。そのご報告です。

一階のぞきの棚の中、上から順に(実は下から上に)
アフリカの枕二種、出西窯の指描き鉢、トルコ水差し等、
中国の線香立て二種と山陰の手焙り、奥はアフガン鉢
そして、ルーマニアの陶製の菓子型三種
一階のぞきの端、山本作花入れ二種
柚木作リトグラフ「たすき紋」
下にガラクトーイ、左に仮面
一階階段下、柚木作型染『野菜紋」
壁に掛かるのは、蟻川工房製
灰色のホームスパン服地3,6mと
昼夜織オレンジ色のロングショール
階段吹き抜け壁、色々なものが並ぶ
二階正面から左右の様子
窓際にFさんの山本コレクション
左側に大坪浩や高田青治の油彩画
右側に井上幹太作 欅朱漆塗鏡と
スペイン由来のペルー硝子絵鏡
一階階段下のエチオピアの巡礼者用の杖
こう見ると、この杖の形から否応無しに
十字架上の
受難の御人を想像してしまいます
この杖は、その象徴かもしれません

2017年12月17日日曜日

「百冬の会」初日

昨16日から、初めての試みとして「百冬の会」を始めました。手持ちの、あるいは眠っていた物でどれだけの事が出来るか、それを形にしたものです。準備(構想)から形にするまでが短く、どうすれば良いか考えもないまま始めた事でしたが、何とかまとまりました。皆様、どうぞお出掛け下さい。画像は、今日の最後のお客様Nさんの携帯で撮っていただいたものです。

長崎のハタ、そして二種の仮面
会場正面
正面左側
正面右側
未だ、吹き抜け壁と一階の覗きは物が並んでいません。明日早めに出掛けて並べます。どうぞお出掛け下さい。

2017年11月7日火曜日

ガラクトーイ<集落>展 制作風景

のぞきに立つ巨大な“ガラクトーイ”

初日には未だしばらく間がある11月5日の昼前の事です。森貴義さん夫妻が、車に荷物満載で当店に到着。荷物を降ろし終えると、奥さんのNさんだけが、積みきれなかったガラクトーイを取りに再度自宅へ。二階では、早速作者によるガラクトーイの<集落>制作が始まりました。集落の骨組みになる板や、巨大なガラクトーイとも見える構造材を次々にネジ止めし、二階正面から窓際に掛けて、少しづつ<集落>が姿を表わし始めます。二時間ほどで組み上がる予定が、結局完成を見たのは夕方で、そこから300個余りある様々な大きさのガラクトーイを<集落>に配置する作業が始まりました。夫婦二人掛かりで、作業終了は結局午後9時を過ぎていました。何もやらない私は楽でしたが、お二人ともお疲れさまでした。

二階に出現した“ガラクトーイ”の集落
一階階段下の仮面や“ガラクトーイ”
吹き抜け壁の“ガラクトーイ”
段ボール製の仮面ほか
仮面三種 • 河井寛次郎晩年の
仕事の一つ、“木の仮面”の
仕事が私には重なって見えます
<集落>住民紹介
それぞれに名前あり