2017年7月17日月曜日

忘れられないもの 27 リーチさんの言葉 1


先の大戦後間もない1947年に5人の若者によって始められた出雲の出西窯(しゅっさいがま)。その出西窯初訪問の事や仕事については、すでに本稿「忘れられないもの 23」で取り上げました。ところで、その出西窯窯創業から50年目にあたる1997年12月から翌年12月にかけて、当店主催で創業者5人の同人の御一人•多々納弘光(ただのひろみつ)さんに、同窯に縁の深い(多々納さん仰るところの)「お師匠樣方」、河井寛次郎(かわいかんじろう)、濱田庄司(はまだしょうじ)、バーナード•リーチ〈以上、陶芸家〉、吉田璋也(よしだしょうや)〈鳥取民藝美術館初代館長•鳥取民藝協団創設者〉、村岡景夫(むらおかかげお)〈日本民藝協会専務理事〉、外村吉之介(とのむらきちのすけ)〈倉敷•熊本国際 両民藝館初代館長〉、柳宗悦(やなぎむねよし)〈日本民藝館初代館長〉、山本空外(やまもとくうがい)〈浄土真宗僧侶〉の8人の方々について、6回に分けて講演して頂いた事があります。多々納さんの手元に残されている当時の日記を始めとした数々の記録と縁(ゆかり)の品々を元にして、毎回、興味深い、面白くも感動的な話をその場に集まった者達に熱心に語って下さいました。

その連続講演会の3回目にお話し下さった英国の陶芸家B•リーチ氏(以後、リーチさん)の時も、1954年から始まる出西窯との縁の事。また、リーチさん5回目の来日になる1964年には、出西窯に丸二日間滞在し、仕事の手本になるカップやジョッキにポットそしてピッチャー等、たくさんの作品や指図書など、宝の様な品々を出西窯に残している事などが語られました。そして、今回皆さんに是非お伝えしたいと私が思った言葉が、後年リーチさんが亡くなった時に多々納さんが書かれた追悼文の題名、「この茶碗に唇を触れて喜びがあるか?」(これはリーチさん御自身がよくそう仰っていたのを思い出しながら書いたと多々納さんは仰っています)なのです。

この言葉自体、極めて感覚的な言葉の様に聞こえますが、実作者としてのリーチさんならではの言葉で、作り手の側から見た工藝品の道具としてのあるべき姿を、実に判りやすい言葉で表わしている様に私には思えます。これは、7回目の来日時の1966年11月12日、松江で行われた「歓迎会」席上での卓話。当日参加の多かった作り手に対して語られた言葉である、「みんな、自分で使って自分で喜びを確かめながら作れ。自分の作ったカップに唇を当てて喜びがあるかどうか。手に温もりが伝わるか。」とも重なって、深い印象を残す言葉になっています。しいて言えば、厳しい眼に適う美しいものは、人間の五感に働きかけて身内に「喜びの感情」を引き起こすものだ、心して作りなさい、位の意味になると思います。


さて、今日皆さんに御紹介する三種の茶碗、二つの刷毛目碗
(左 径17cm 高7cm 右 径18cm 高7•5cm)は李朝時代の鶏龍山
(けいりゅうさん)のもので、右の碗は特に出西窯の引刷毛目碗の原型の様な仕事になっています。


李朝の無地刷毛目の様に見える碗(径17cm 高7cm)は、魚文皿の仕事で知られているタイのスコタイの窯のもので、先の朝鮮の碗と比べて見ると、材料の土が全く別物です。
いずれも唇に触れて味わいたい趣を持つものです。

2017年7月4日火曜日

わすれられないもの26 軟陶の焼物三種


今回、皆さんに御紹介する「軟陶の焼物」とは、比較的低火度で焼かれた焼物の総称で、日本の楽焼や中国の唐三彩がそれにあたります。以前、この欄で御紹介した「アフガンの古鉢」もそうです。ただ現在、普通の家庭の食器棚の中は、硬質陶器や磁器と呼ばれる硬めの壊れにくい食器類がほとんどで、「軟陶」と呼べるものがあるとしても、日本ですら「土鍋」くらいでしょう。しかし、世界にはまだまだ「軟陶の焼物」が沢山あるのです。試しに、当店在庫の「軟陶」生産国を順不同で挙げてみると、イラン•インド•アフガニスタン•インドネシア•ビルマ•トルコ•ペルー•メキシコ•エクアドル•スペイン•ルーマニアそれに日本の12カ国。「硬質陶器や磁器」は、中国•韓国•タイ•日本の4カ国、と「軟陶」の三分の一です。
ただ、これを世界の市場で流通している数で比べると「硬質陶器や磁器」が逆転し、圧倒的多数です。何故か、と考える事もないくらい理由は明々白々です。機械工業的な技術(例えば、焼成の際のトンネル窯など)に下支えされた「硬質陶器や磁器」の大量生産と低価格、これにつきます。一方、「軟陶」生産国の数が多いのは、材料の陶土と技術に長けた陶工さえいれば、比較的簡単な設備で地域の実情に応じた制作が出来るからでしょう。


さて、最初に御紹介するのは、スペインの四耳壺(口径 38cm 高さ 27cm)です。堂々とした体に立派な耳がついています。30年以上前に手に入れました。


次は、インドネシアの黒陶の鉢(推定 径 26cm 高さ 7cm)です。一見すると、質感が石を思わせる品で、中には「擂り目」の様な筋が横に入っています。古窯系の擂鉢を彷彿させる魅力的なものです。


最後は、トルコの小壷(大 口径13cm 高さ 22cm  小 口径 8cm 高さ 14cm 推定)です。仕事を始めて、4•5点しか類品を見た事がありません。数が少ないのは、実用陶でありながら軟陶なので、大半は壊れて残らなかったのかもしれません。古い時代の信楽(しがらき)の種壷かパナリ焼を思わせる様な仕事です。今の日本で造型される同種の写しに比べて、邪気が感じられないのが不思議です。(品物のサイズで推定とあるのは、現在手元にない為です、あしからず)

2017年7月3日月曜日

「西川孝次吹きガラス展」始まる


梅雨が明けた様な厳しい暑さの7月1日。無事に「西川展」の幕を開けました。空調の電源を未だ入れておらず、汗を拭き拭きの初日になりました。幸い、たくさんの方々にお出でいただき、西川さんの吹きガラスの仕事に関するおしゃべりも絶好調でしたよ。

一 • 二階踊り場の様子
二階正面の様子、三点の絵はR • ゴーマン作
正面左右の様子
二階道路側の花々
庭側の花
床や舞台上の西川作品
閉店後、舞台を「吉富」に移して
行われた38年記念の「三店合祝」
「三店合祝」で挨拶する西川さん
会も終わりビールを片手に

2017年6月27日火曜日

第11回「西川孝次吹きガラス展」のお知らせ


紫陽花の美しい季節になりました。さて、暑い季節に好んで使われるガラス器が、眼がくらむほどの溶けたガラスの眩しさとガラス窯廻りの厳しい暑さの中で生み出される事情は、近年知る人が多くなりました。また、硝子器制作中は窯の火を落とさない、村松学さんの様な人もいれば、毎朝、窯に火を入れて温度が上がるのを待ち、決めた数だけガラスを吹くと火を落とし、風呂に入ってビールを一杯、という西川さんの様な人もいる訳です。これは良い悪いの問題でなく、作り手が仕事を覚えた場所の「文化の違い」に帰すべき問題でしょう。ただそれが、吹かれて形になるガラス器の違いや作り手の「人となり」とも重なって、興味深く面白い問題です。ところで、今展DM用に送られて来た品々は、お酒の好きな西川さんらしく冷酒を美味しく頂けそうなグイノミや盃です。もちろん用器ですから、具体的な使い途は皆さん方に考えて頂くとして、どうぞご覧になりにお出掛け下さい。


● 7月第4週から8月15日まで、作品の一部が旧八女郡役所内に移転した「朝日屋酒店」に巡回します。お問い合わせは朝日屋酒店(TEL 0943-23-0924)まで。

2017年6月22日木曜日

「山本教行作陶展」最終回を終えて


山本教行様 この度も「作品提供」という形で、当店開催18回目の作陶展に御協力頂きまして、まことに有難うございました。催事終了後、こちらに残すものやお返しするものを選びながら、改めて一回の「作品展」を準備する作り手側の大変さに気づかされた思いです。
これを八女での展観も含めますと二十数回もやって頂いた訳ですから、只々感謝の他ありません。また、仕事を傍で支え続けて来られた奥様の房江さん始め、ご家族やお弟子の方々にも感謝申し上げます。細君の百子が、自宅の庭に様々な花を用意し、御作の花入れに花を生ける喜びを覚えました事も、「作品展」の始まりました1984年には想像もしなかった事です。そして、ほとんど山本さんに頼りっぱなしであった会場の「もの並べ」を通して、「売り手」の私もまた、作る“ 楽しさと喜び ”を具体的に教えて頂けた様な気がしています。


さて来る七月一日は、“ あまねや工藝店 ” 開店38周年の記念日にあたります。当日は、珈琲美々 • 吉富寿司 • あまねや工藝店、三店合同の永年継続祝いを“ 吉富寿司 ”を会場に20人程の人達と祝う事にしています。と申しますのは、昨年12月7日に“ 美々 ”の森光宗男が出張先の韓国で客死。以来、現世に於ける自分の持ち時間を強く意識する様になり、それが40周年に当たる再来年でなく38周年の今年、「三店合祝」開催を思い立った理由の一つです。ところで、今秋から来年に掛けて二人の、いずれも三十代半ばと若く元気な焼物を作る人達と催事をやる事になっています。長い間、山本さんの作られるものを眺めて来た目で見ると、彼らの造型には未だ物足りない処が多く、充分に満足は出来ませんけれども、具体的な諸々のもの(暮らし振りも含む)を通して、山本さんから頂戴した“ 物差し ”を、彼らに伝えるべく努力するつもりです。それが又、私に出来る唯一の事である様に思うのです。33年の感謝をこめて   あまねや工藝店 川口義典 拝

2017年6月5日月曜日

忘れられないもの 25 化粧陶器三種


店に並んでいる焼物をひと渡り眺めて気がつくのは、そこに並ぶ品々のうち無地の仕事は比較的少なく、焼物の表(おもて)に様々に工夫された技法で何らかの化粧を施したものがほとんどだ、と云う事です。もっとも、ここは「あまねや工藝店」なので、化粧を施したと云ってもデパートの売り場等で時に目にする、描き手の筆力が問われる写実的な花鳥風月を題材にした絵皿の様なものはありません。ここで、化粧(技法)の種類を、当店で数の多い「小鹿田(おんだ)焼」を例に、その名を挙げてみましょうか。刷毛目•打刷毛目(うちはけめ)•飛びかんな•打ち掛け•流し掛け•櫛描き•指描き•いっちん等々、これに他窯の仕事、面取り•しのぎ•点打ち•象嵌(ぞうがん)•掛け分け•押し紋•赤絵•金銀彩•三彩•搔き落とし、それにスリップウェア(練り上げ•練り込みを含む)を加えれば、現在工藝の領域で仕事をしている作り手が用いる技法の、八割方を網羅していると申し上げても良いでしょう。

しかし、当然ながら、これらの諸技法を使い安定した数物(かずもの)の日常雑器を作るには、時間を掛けた修練(高名な益子の陶芸家•濱田庄司は一種に付き一万個、と云っています)が必要です。ただ、ごく一部の技法(赤絵や染付など)を別にすれば、仕事の数をこなす事によって個々の作り手の力(技術や感性)の差が、形になる器の出来不出来に極端な影響を与えにくいのが、これら諸技法を用いる理由の一つでもあるのです。
この事でいつも思い出すのは、岡山市郊外•寒風(さむかぜ)の地にあった「寒風春木(さむかぜはるき)窯」の仕事です。親方である故•沖塩春樹(おきしおはるき)氏の作った見本を、(私が伺っていた頃は)お弟子二人が沖塩さんと共に数に移し、春と秋の年二回、六室もある大きな登り窯を焚いて、日常の食器を中心にした仕事を続けておられました。その際、沖塩さんが作られる「数に移す見本の品」の眼目は、誰が作っても個人の力(例えば親方と弟子)の差が出にくい技法を用いて食器を作る、その事です。ちなみに「寒風春木窯」で多用されていた技法は、刷毛目•しのぎ•掛け分け•指描き•いっちん•貼付け紋などで、このほか成形の際の高台の削りを、難度の高い味っぽい削りにせず、清潔な削りにするなどの工夫を加え、一貫して嫌味のない質の高い食器を作る事で、皆に喜ばれる人気の高い窯であり続けた訳です。


さて、今日御紹介する最初の品は、山陰地方で手に入れた口付きの雲助(肩径40cm 高さ40cm)です。肩に白い化粧土を見事に流し掛けています。冴えた手腕です。


次は、胴に灰釉の打ち掛けを施した丹波焼の切立の小甕です、どうと言って特別な処のない品ですが、心惹かれます(径25cm 高24cm)。


最後は白い泥奬(でいしょう)を、恐らく一•二本の筒口が付いた道具で大鉢の表面一面に流し描き、上から針の様な尖ったもので引っ掻いて作った模様(フェザーコーム)を施したイギリス19世紀の大きなスリップウェア(縦40cm 横50cm 高さ12cm)です。

2017年5月30日火曜日

最終回「山本教行作陶展」始まる


先週土曜日の27日、定期開催としては最後になる「山本教行作陶展」が始まりました。先回の催事片付けもそこそこに、10日間ほど留守をしたつけが廻って、掃除および「もの並べ」は初日前日の夕刻からで、最後の作業の値札を並べ終えたのは日を跨いで翌日午前3時を過ぎていました。150種250点程が並んでいます。初日の午前11時頃店に着くとすぐに、最初のお客様と山本さんの御入来。慌てました。何とか準備をすませて、長い初日が始まりました。

1階のぞきの模様
1階踊り場から2階にかけて
正面
棚前の舞台
珈琲碗十種
道路側と庭側の花
花入は白釉鎬水差と
象嵌扁壺
もう一つの花入れ
白釉鎬水差し
パーティーの御馳走
記念写真、三分の一の人はすでに御帰還
この日も自宅へは午前4時、疲れました