2018年5月11日金曜日

花あそび ー 薮庭流社中 ー 展 始まる


昨10日、「花あそび ー薮庭流社中ー展」が始まりました。前日、午後4時前に県外組二人に県内組一人が早々と到着。早速、二階会場で準備を始め、持ち込まれた大量の花材相手に、銘々が選んだ山本教行作の花入に花活けが始まりました。その後、メンバーが勢揃いして、途中、お茶の時間や食事休憩をはさんで、終了したのは午後9時半過ぎ。皆さんお疲れさまでした。さて、迎えた初日。開店前からのお客様等で、一階が片付かぬまま催事突入。その後も、お客様が切れず、賑やかな初日になりました。

二階会場に並ぶ花々
一階のノゾキ
吹き抜け壁にはドライフラワーのリース
活けられた花々と壁には山本教行作の陶板や硝子絵

2018年5月1日火曜日

忘れられないもの 38 もの並べ

会場写真

ここで云う「もの並べ」とは、私の仕事の「現場」であり大事な「舞台」でもある以下の場所、八女の旧「朝日屋酒店」、同じく「高橋宏家」、京都の「せんきた工藝店」や浦和の「柳沢画廊」そして「倉敷民藝館•特別展示室」等で、折にふれ、私が行(おこな)って来た催事毎の展示、並びに「あまねや工藝店」で季節の変り目や催事のたび、「のぞき」や二階会場に、その時々の展示物や出品物の納まりを案配(あんばい)して並べる事、を言います。
つい先日(2018年4月1日)終了した「中野知昭個展」の時も、この「もの並べ」をやりました。写真でご覧頂いているのはその時の様子です。考えてみれば、これまで40年近い「あまねや工藝店」の仕事の一つとして、催事の度におそらく延べで200回以上、様々な「もの」を並べて来た事になります。しかし、そこそこ「もの並べ」と云える様な案配が自覚的に出来る様になったのは、ようやくここ20年程の事です。以下に述べる様な、切っ掛けがあっての事です。

中野さんの諸作とR • ゴーマンの作品三点

「あまねや工藝店」で催しをやる時、それが大きな催事であれば、
一 • 二階に並ぶ品物のほとんどを取り払い、店の中を空(から)にした
状態でその催事の品を並べます。普段の、賑やかに物が並んだ状態に比べると、一人の作り手が作った物、或は催事用に選ばれた品々(東北地方の諸産品や出雲の焼物等)だけが並ぶ訳ですから、空間自体も並んだ物も真(まこと)に美しく見え、結果としてこれを見る人達に対する物の訴求力がいや増します。
これまで、六人の作り手(山本教行 • 柴田雅章 • 鈴木照雄 • エドワード•ヒューズ • 大澤美樹子 • 名取敏雄)の個展、また東京の当時「バザール岩立」と云っていた、岩立廣子さんの貴重なインドのコレクションの展示、そして出雲の「出西窯展」の時と盛岡「光原社」にお世話頂いた「北の手仕事展」の時に、それを行いました。それでも、全体として見ればさほどの数ではなく、これまでの39年で、回数にして20回程でしょう。

もの並べ前
もの並べ後、写真は2015年のもの

さて、1990年代の半ば頃だった様に記憶していますが、或る年の「山本教行展」の時の事。それまでの「山本展」では、作品は必ず前日までに到着する様に、トラック便で送るなり御自身で持って来るなりして準備し、一気呵成に「もの並べ」をやってしまうのが山本さんの常でした。そんな山本さんの手際の鮮やかさを、何処かで私は楽しみにし、当てにもしていた訳です。ところが、その年に限って「 どうしてもその日は予定がたたず、伺えない。荷物を送るので、物を並べるのは貴方がやってくれ 。」とこう仰るのです。
さて、開梱(かいこん)はしたものの、大きな段ボール箱十箱分程の大量の作品を前にして、「さぁー、大変な事になった!」と途方にくれました。しかし、会の初日を翌日に控えた金曜日ですから、とにかくやるしかありません。細君と二人、一階と二階を行きつ戻りつして、少しづつ少しづつ展示作業を進めて行きました。それまでの個展の時も、値札のカードを書いたり花を入れたりして、帰宅が午前3時を過ぎる事は度々でしたが、この時はその時刻を過ぎても目処(めど)が立ちません。こうして、なんとか全ての作品を並べ終え準備が整ったのは、日を跨いだ初日の開店数時間前でした。
後日、会場入りした山本さんから、この「もの並べ」に対して合格点を頂戴し、ようやく自分の「もの並べ」に少し(本当に少し)自信が持てる様になったという訳です。


ところで、写真で見て頂いている「中野展」は、空いた壁に掛ける様な平面の仕事がありませんから、そこを埋めるのがなかなか難しいのです。考えて、アイルランドの画家リチャード•ゴーマンの不透明水彩(グアッシュ 中央の作品)一点と左右に二点の油彩を掛けました。掛けてみると、半ば予想していた通り、中野さんの漆器諸作と何処かで響き合う様な雰囲気が会場に生まれて、本当に嬉しくなりました。「もの並べ」の、これが醍醐味です。その上、初日に来て下さったお客様の一人が、ご自宅の茶室の茶掛けに使いたいと仰って、中央に掛かるグアッシュをご予約下さったのです。私には思いも寄らない嬉しい使い途です。配達がてら、R•ゴーマンのグアッシュが掛けられた茶室を拝見に行こうか、と思案中です。

2018年4月24日火曜日

「 花あそび ー 薮庭流社中 ー 展 」のお知らせ

唐津「あるところ」での課外授業
来る5月10日(木曜日)から20日(日曜日)まで、川口百子が教授する花活けのグループ「薮庭流」社中5人の、初めての展覧会を開催します。今回は薮庭の花に加えて、銘々が一種類の花を持ち寄り、それらを併せて、様々な時期に作られた岩井窯 山本教行作の花入れ(すべて販売)に入れて、皆さんにお目に掛けようというものです。他に、教室で作ったドライフラワーのリースも幾種類かご覧頂けます。普段の催事と違うのは、5月の教室の翌日の木曜日、10日12時から催事が始まる事です。どうぞ気をつけてお出掛け下さい。

案内状に使った花の写真は昨年11月6日
「森光宗男メモリアルコンサート」の時の
川口百子による舞台袖の献花。撮影は橋本文夫氏

2018年4月3日火曜日

忘れられないもの 37
建物としてのあまねや工藝店

今泉の店舗夜景。看板は古板、文字は鈴木召平。
雨仕舞い悪く、左手の押出窓下の木の框が腐って

取り替えた後、窓枠下部にステンレス製の水切りを
付けてくれたのは、イタリア文化センタードリ
アーノだった。イタリアで同じアルバイトをしてい
と云って、彼は前歯2本の間に開いた小さな丸い
(口中に小釘を頬張りその穴から小釘を押し出す、
為に穴が開くのか、開けるのか?)を見せてくれた。

1978年 春 。10年近く暮らした東京を引き上げ、一歳になったばかりの長男と妻の百子を連れて、母と伯母が暮らす太宰府に帰りました。この先、自分が工藝の世界と関わりを持ち続ける為、売り手という立場で「工藝店」を始める為です。
帰り着いて福岡の不動産屋数軒を廻り、安めの家賃と繁華な天神地区から比較的近いという理由で、< 福岡市中央区今泉二丁目五番十二号 >に建つ木造モルタル二階建の一階部分(十坪程)を借りる事にしました。しばらくして、店の裏に建つ、当時すでに築30年程の木造瓦葺き一軒家の半分、南西部分(二畳•八畳に台所と手洗付き風呂なし)を借りて住居(すまい)にしました。

今泉店舗室内 

これまで、自分の手で何一つ具体的な形を作る事が出来ていない、という負い目の様なものに背中を押され、店舗改装工事は可能な限り自分でやる事に決めて、道具類(鋸、金槌や電動工具類)を用意し、家族(母と妻)の手を借りて工事を始めました。
店の図面や技術的な実際面については、近所に住む詩人の鈴木召平
(すずきしょうへい)さんとの御縁でお近づきになったばかりの一級建築士 相原敏一(あいはらとしかず)さん(故人 後に幼馴染Sちゃんの尊兄だと判明)にお世話になりました。幸い(?)1978年の夏は、記録的な大渇水で断水が続き、そのお蔭で、水道工事も自分で出来ました。
終わってみれば、専門業者に依頼したのは電気工事と建具制作だけで、水廻りの設備から壁布貼り、そして店舗用の棚作りに至るまで、なんとか全ての作業を無事に終える事が出来ました。工事を始めて
10ヶ月が過ぎていました。
それから地上げによる立ち退き(1990年8月30日)までの11年間(自身の三十代)をこの店で過ごし、そして此処で培った縁(遺跡発掘のアルバイト)が、また平尾の店での仕事(福岡市博物館ミュージアムショップ)につながる事になります。

平尾店舗正面。看板は前崎鼎之作
真鍮板に銅板の切り文字

1990年秋に移転した平尾の店は、元の店から南東にまっすぐ
700〜800m下った辺りに、戦後間もなく建てられた古い木造二階建てで、表の壁は波板のトタン葺き。
一階は天井一面にプリント合板が張り巡らされた十坪の事務所スペースで、奥の引戸を開けると、古い板塀付きのブロック塀を巡らした陰気な感じのする一坪の半戸外の空間。
狭くて急な階段を上った二階は、畳敷きの六畳一間で、右奥に一間
(いっけん)の押入れと流しに手洗付の物件でした。

平尾店舗室内

これを、’80年代の半ば頃から店に出入りする様になっていた宮島豊さん(現在、札幌で「フーム空間計画工房 主宰)が、室内の天井部分や構造上問題のない壁や柱を全て取り払い、こちらの要望(例えば、一•二階の隣家との境、壁一枚向こうは隣家の居間でもあり、お互いの気配を消すための工夫として、一階にブロックの壁〈展示棚兼用〉、二階は物入れを作る等々)を聞きながら、師匠筋に当たる白井晟一
(しらいせいいち)の建築言語とも云うべき、木毛セメント板の天井、太い梁や柱、搔き落としのセメント壁、木製ルーバー、中央に真鍮のドアノブが付いた背の高い扉等々の材料•意匠を駆使し、細かく図面を描き現場管理をしてくれたお蔭で、敷地十三坪一杯に建てられた古家が、至極居心地の良い店舗空間に様変わりしました。店舗奥も文字通りの中庭にする為、知人で植栽を手掛ける坂井健雄さんにお願いして、夏椿やヤマコウバシ等の樹木数本を入れたり御影石(みかげいし)の敷石を配したりして、見違える様に気持ち良くなりました。

中庭を臨む
右手から見た平尾店舗正面
左手から見た平尾店舗正面
背高ノッポの正面扉

その後しばらくは、「あまねや工藝店」が宮島豊設計士のモデルハウスともなり、福岡近辺を中心に直接間接を含め10棟近くの住宅の成約実績につながる事にもなりました。その事に加え、’90年代から始めて店舗設計を含む空間計画や、環境音楽に関する講演会などを実施した(宮島さん、私を含む4人の仲間の)グループ名「フーム空間計画工房」が、札幌の一建築設計事務所の名として、主に北海道地域の皆さんに貢献し続けている事も、宮島設計士への大きな感謝と共に私のひそかな誇りとするところです。

2018年3月28日水曜日

忘れられないもの36 抽象紋の皿100 展



2006年11月に埼玉県浦和の柳沢画廊で始まり、その後の2回(2008年と2009年)を、開催場所も鹿児島 • 唐津 • 日田 • 福岡 • 長崎そして再度浦和と、九州を中心に様々な場所 • 地域で行ったあまねや工藝店と小鹿田焼 坂本工窯による共同作業としての催事、「抽象紋の皿100」「模様の発見」「標準の提案」、これら三つの催事の内、とりわけ最初の「抽象紋の皿100」展は、10年以上の時が過ぎた今振り返ってみても、感慨ひとしおのものがあります。それは、私(売り手)と坂本工(作り手)が立場の違いを超えて協力し、お互いが出来る事を持ち寄って「小鹿田焼が提案する、今のそしてこれからの食器の可能性」を具体的な催事の形にして(大げさな言い方をお許し頂けるならば)世に問うた、その事です。これは双方にとって、真に意義深い試みだったと思っています。以下にそれを述べてみます。 

そもそも、注文生産が原則の小鹿田焼は、作り手が受けた注文に応じてそれらの品を注文主に納め、焼き損じ等を除くほぼ全量が現金に変わります。その繰り返しで(坂本工窯であれば)1年に5回の窯を焚き、生業としての仕事が続いて来た訳です。
事実この頃、坂本は料理研究家 辰巳芳子さん創案の擂鉢三種の制作に忙殺されていて、それさえ作っていれば家業は安泰であった筈なのです。それを自ら引き受けた仕事とは云いながら、この催事では、売れる見込みの立たない品々をたくさん作り、個人作家の真似をして展覧に供する等、生業としてのこれまでの仕事のやり方から大きく逸脱した行為として、身近な人達から非難されても仕方がない処です。

しかし、300年続いて来た民窯だからと言って、これまで作り続けて来たものを繰り返し繰り返し、只々作ってさえいれば良いと、必ずしも私は思わないのです。むしろ、民窯であるからこそ、いま生きている自分が何を作り、どうすれば、それを普通の人達の日々の暮らしに役立つ物として使う人の元に届けられるか、という大きな問題を「自分の頭」で考え「具体的な形」にして行く事が、「作り手」にとって欠かせない大事な営為だと思うのです。その意味で「抽象紋の皿100」展の場合、売り手の私が用意した「参考品」としての古今東西の様々な品を一つの手掛かりとして、苦しみながらも、一年がかりで催事用の尺一寸皿
100枚を準備しおおせた、坂本工の努力に敬意を表したい、「イヤー、良くやったね!」と今も言いたいのです。

私にしても、これまでの小鹿田焼の歴史を考えれば、一(いち)売り手の立場で、新作に安易に関わる事は厳に戒められるべき事であり、その自覚を持って事に臨むべきなのです。坂本工の「あたま」にも「手」にもならず、「眼(参考品)」に徹してもの言うべし、これがこの時、私が私自身に課した立位置であったつもりです。結果それが、坂本自身による大皿への” 打ち掛け ” や ” いっちん ”と云う、古くて新しい加飾の「発見」にも繋がって、私を嬉しがらせてくれました

2008年11月の2回目の催事「模様の発見 唐津展」準備の日に、白掛無地の睡蓮鉢でその年の日本民藝館展最高賞である「日本民藝館賞」受賞の報せを聞いて、その場に居た皆で歓びを分かち合った事も忘れられない思い出です。

2018年3月27日火曜日

「中野展」のこれまで

R.Gのグアッシュ

初日、二日目と慌ただしく、「中野展」のご報告が出来ませんでした。初日の朝、中野さんと朝一番で広島から見えた中野さんの御友人に手伝って頂いて、正面の壁にリチャード•ゴーマンの作品三点を掛けました。掛けてみて(予想通り)中野さんの漆器諸作と響き合う様にピッタリで、嬉しくなりました。

低温スチームによる小松菜の香辛料入りソース和え

また、午後下関からお出掛け頂いたお客樣方に、少し早めに出来ていた I シェフのパーティー料理を、お好きだと仰る赤ワインと一緒にお勧めし、もちろん(中野さんを含む)私達もご相伴しながら歓談。早めに帰るつもりでいらした様ですが、そのまま夕刻からのオープニングパーティーに御参加頂いて、楽しく皆で時を過ごしました。

カリフラワーと挽肉に種々の香辛料
入りカレー。奥は乾麺を湯搔いたもの
バゲットにオリーブオイルとクミンを
加えチーズをかけて焼いたもの
烏賊のゲソとキノコ、野菜を加え炊いたもの
土鍋で炊いた蒸し野菜、美味しいものでした
参加者各位

メニューの説明は写真と、当てにならない記憶によって書かれたものです。間違っていた時は、訂正します。お向かいの桜も、この三日でほぼ満開になりました。


ワインはありませんが、美味しい焙じ茶と中野さんご持参の鯖江の銘菓を用意してお待ちしております。どうぞお出掛け下さい。

2018年3月24日土曜日

第4回「中野知昭個展」今日から

本24日から、4回目の「中野知昭個展」が始まります。2年半振りです。案内状で御紹介した曲げ物の仕事の他、ずいぶん目新しい仕事が増えています。夕刻から中野さんを迎えて、一品持ち寄りのオープニングパーティーも開催。料理長は、即興料理つまり有り合わせの材料で美味いものを作ってくれる、 I さんです。お向かいの山口さんちの桜は、ようやく2分から3分咲きと云った処です。皆さんどうぞお出掛け下さい。

2階正面です
今回初めて花入れを出品
楕円形や丸い品々がDMで御紹介した曲げ物です
薮庭の花も入りました
上の写真の中央が黒の、下の右端が朱の
それぞれ五寸五分の二段重です