2010年4月13日火曜日

立花英久塑像展の顛末 1





昨年11月の「あまねや通信」の中で、今展の塑像の作り手・立花英久さんにお目に掛かり、福岡で塑像展をやって頂く様にお願いした話を書きました。その中で、“面白いエピソードがあるけれど、それは展覧会の時までお預け”とお伝えしましたが、それを今回書いてみます。
「立花英久塑像展」催事案内状の中で、塑像発見の経緯について、私は次の様に書いています。

私が立花英久(たちばなひでひさ)さんの“塑像の仕事”を発見したのは、月に1度「持病の薬」を貰いに出掛ける病院の待合室で読んだ雑誌、「暮しの手帖 No42」(2009年秋号)の記事の中です。昨2009年10月初旬の事でした。オーブン粘土を素材にしたその“塑像”は、私の眼には何処か“たどたどしい”小学生の粘土細工の様にも見える一方で、有元利夫の婦人像や木内克(きのうちよし)のテラコッタの裸婦像に重なるイメージを持っていて、そこに作者である立花さんの憧れが透けて見える様でもあり、私は一遍でこの“塑像”が好きになりました。立花さんがどんな経歴の持ち主であるのか、私は記事中に書かれた(1962年広島市生まれ。コマーシャルをはじめ、舞台や映像の演出を手掛ける。)以上の事は知りませんし、この際それは私にとって、どうでも良いのです。大事な事は、私達同様、立花さんが“今”を生きている人であり、その立花さんの“塑像の仕事”の中に、私自身の“今”が映っている事です。皆さんにこの“塑像の仕事”を見て頂きたいと、私が思ったこれが理由のすべてです。

その「暮しの手帖」には塑像の紹介記事に続けて、近々、東京のSで立花さん2度目の塑像展が行われると書かれています。しかし、上京を予定している11月中旬には、残念ながら展覧会は終わっています。そこで、東京にいる長男にかわりに見てもらう事にしました。そして、会場で立花さんに会って、私が福岡で塑像展を是非やってほしいと思っている事、また出来れば塑像一体を購入する様に伝えました。私は、これまでに作った催事案内状から5、6枚を選び、それに手紙を添えて立花さんに送りました。さて、首尾や如何に!


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