2011年8月31日水曜日

案内状が出来ました



次回催事、「十八番の会・五人展」の案内状が出来ました。参加作家は、川野恭和〈磁器〉・名取敏雄〈型染め〉・松形恭知〈陶器〉
村松学〈ガラス〉・柚木沙弥郎〈絵画〉、以上の諸氏です。

【八女会場】 高橋 宏 家 

’11年9月17日(土)〜25日(日) 午前10時〜午後6時

【福岡会場】 あまねや工藝店

’11年10月1日(土)〜9日(日) 午前11時〜午後7時

以下、案内状の文章原稿をご紹介します。

「十八番の会(おはこのかい)」とは、一人の作り手が永年続けて来た仕事の中で、その人らしさがよく反映されていると思える仕事、また他人(ひと)から見て、あれこそ誰某(だれそれ)の代表的な仕事だと思ってもらえる様な仕事、そんな仕事を一人の作り手のなかから選び集めて、皆さんに見て頂く、そんな趣旨の会です。したがって、「アレもコレも皆あります」と云う訳には行きませんが、仕事自体よくこなれて、安心して皆さんに使って頂ける物ばかりです。
さて、このたび二度目になる「十八番の会」を、八女の町家・高橋宏家とあまねや工藝店で開催する事になりました。今回は、陶・磁・ガラス・染色そして絵画の領域から、五人の作り手の方々にご参加頂き、皆様方にご覧頂く事になりました。昨年秋に最初の「十八番の会」を開催した時から、複数の領域の工藝の仕事をひと処に並べ、ひとつの「暮らしのかたち」を、具体的な物を通して皆さんに提案してみたい、そう思っていたのです。その場所として、今のところ八女の「高橋宏家」ほど相応しい場所はありません。私達の普段の暮らしに近い設え(しつらえ)の中で見る工藝品が、皆様方の暮らしのお役に立ち、また喜びの種ともなりますよう願っております。

夏の終わりに思い出す事




仕事で物を選んだり、あるいは“もの並べ”をしていて、つくづく感じるのは、およそ40年も前に、自分が経験した出来事の大きく強い影響です。その中心にあるのは、1972年の一夏、およそ50日にわたって「倉敷民藝館」で臨時職員として働いた折りに、そこで自分の中にすり込まれたと思われる、物(ここでは、民藝品と言っていいかもしれません)を通じて得られる、一種の“生理的な喜び”の感覚です。
これは美味しい物を食べた時などに感じる喜びと極めて近いものであって、言葉で説明するのが難しく、一般的な知識の様に本を読んで得られるものでもなければ、また他人が容易に追体験出来るものでもありません。ただ、同じ喜びを知る人間同士が、その物を前にして喜びを共有出来るだけです。私にとって、そんな貴重な50日の機会を与えて下さった方が、これからお話しする外村吉之介(とのむらきちのすけ)先生です。先生については、すでに私のブログの中でも、数回触れました。重複しない様に気をつけながらお話してみます。

最初の出会い(1972年春)については、すでに書きました。その年1972年に、朝日新聞社から濱田・芹沢・外村三人の共著という形で「世界の民芸」が出版されます。これは、「週刊朝日」のグラビアページに連載されていたものを一冊にまとめたもので、その出版を記念して、5月頃だったと記憶していますが、「日本橋・三越」で本に紹介されたものを並べた展覧会があったのです。会期中の一日、会場に出掛けて展覧会を見ていると、なんと会場に先生がいらっしゃるではありませんか。その時の嬉しさ。さっそく御挨拶をし、御話ししている中に「夏休みに、倉敷にいらっしゃい」と云う話が出て、その一夏を倉敷民藝館で過ごす事になるのです。

さて、布団や身の回りの物を東京からチッキで送りなどした後、倉敷に着いて用意された下宿に行って見ると、民藝館と縁の深い写真家の中村昭夫さんの隣家・玉井さんの御宅の物置です。窓は小さく、しかも物置の外には中村さん宅のクーラーの室外機があって、容赦なく熱風を吹き出しています。扇風機は用意されていましたが、暑いのなんの。その上、瀬戸内海沿岸部である倉敷は、夕方から夜中まで風が止まる(瀬戸のベタ凪)のです。夜、陽が落ちたあとも蝉が鳴いているのを聞いたのは、この夏の事です。でも、苦にならなかったのは、若かったからと云うより、それに倍する喜びの日々であったからだろうと思います。臨時職員としての仕事は、草取り、受付、館内掃除、他に展示替えの手伝いなど。当時、民藝館には受付その他で女性が二人、掃除のおばさんのKさん、そして学芸員職のMさんの4人がいて、人手はおそらく足りていた筈です。私のやるべき仕事を見つけるのが、大変だったのかもしれません。まるまる50日の手伝いの終わり近く、先生のお供で出掛けた岡山からの帰りのタクシーの中でのやり取り、2009年7月1日付“30年目の御挨拶”も、すでに書きました。終わって、東京に引き上げる時に頂戴したのが、写真に載せた先生のサイン入りの「世界の民芸」です。これは、いまだに私の物を見る際の大事な道標(みちしるべ)になっています。

2011年8月29日月曜日

“打ち上げ”の日






昨28日、一月以上にわたって行われた「フィリピンの手仕事展」と「b・tan ぬぐいプロジェクト展」が、無事に終わりました。真夏の試みとしては初めての事で不安でしたが、ふたを開けて見れば沢山の方が来て下さる良い会になりました。長丁場を乗り切った事でもあり、朝日屋酒店の高橋さんに相談をし、生ビールを楽しむ「震災復興支援ビヤホール」を2F会場に設けて、“打ち上げ”をやりました。参加者は当初5人の予定でしたが、15人程に膨らみ大賑わい。テラスに、日除けとして“花つなぎ布”を張り渡し、ビールサーバーを運び上げて、暑い2階で枝豆にシュウマイ・お好み焼きを楽しみ、併せて12L の生ビールの樽を空にしました。

2011年8月24日水曜日

案内状の作り方


9月中旬から下旬に掛けて「八女・高橋宏家」で、また10月初旬に「あまねや工藝店」で、それぞれ開催予定の「十八番の会・五人展」の催事DM撮影のため、今日24日の午前中、南区の「スタジオTech」に、撮影用の品々と小道具を運び入れました。この度の催事は、企画から実施までの期間が短い為、多くの人に迷惑を掛け実現が危ぶまれましたが、なんとかゴールに辿り着きました。

さて、まず催事の日取りが決まると、催事撮影用の品を「作り手」の方に送って頂き、到着した品を眼の前に見ながら私担当の文章原稿をひねり出します。その目処がついた処で、それらの品をTech の藤田孝介さんに撮影して貰う事になります。今回の様に5人の作り手の品を同時に並べるのは初めてなので、まずデザイン担当のIさんにDM作りの相談をいたしました。そして、送られて来た作品の中から撮るものを粗選びした後、それらの品をこんなイメージで、と云う大枠については私が決めています。その上で、画面構成その他については、全面的に藤田さんにお任せしています。

ある時期、物選びから構成までのすべてを自分だけでやっていた事もありますが、どの催事も同じ様な構成になって自分でうんざりし、写真撮りに関しては藤田さんにお任せする様にしたのです。その後、撮った写真のデータをデザイナーのIさんに送り、案内状の形に整えて貰って、それを印刷会社に廻すのです。デザイナーのIさんとしては腕のふるい様がなく気の毒ですが、それ以来、ほぼ間違いなく良い案内状が出来る様になった気がします。さて、今回の案内状の写真はとても良い写真が撮れました。

2011年8月20日土曜日

百子の花日記 116(番外編)




7月28日、29日の事。物の気配がした。階段下で洗濯物を干している後ろでシュウーと何かが動いた。階段の一番下のゴチャゴチャした処で、何かがこちらを見ている。ネズミだったら大変と、あちこち閉めて、二階も閉めに行った。捕まえようと階段を下りて来たら、閉めたと思った板戸が20cm程開いていた。おかしいなー、確認したのに。そして、物の気配は消えている。でも、いたらまずいので、階段下のものを除けながら、たしかめに掛かった。ホコリの山である。延々と片付けて、夕方まで。あれは何だったんだろう。マックロクロスケだったのかなー。不思議な気分だけが残った。

片付けに飽きた頃に、恒例の水遊びの誘いがあり、翌日、深江の海に泳ぎに行く事になった。7月の初めから家の片付けに忙殺された、その状態からやっと解放される。もののけ(?)、ほこり(?)に振り回された掃除は中断。明日は海だー!29日朝から快晴。午後3時15分に待ちあわせ深江の海で7時頃まで遊んだ。夕方、上げ潮にのって、あさり貝に似た2枚貝が沢山浜辺に打ち上げられ、波が引くと、貝は砂に潜ろうとして、プルプルと身体をたてて揺する。その姿が、なんともユーモラスで愛らしい。暫く眺めていたが、味噌汁の実に拾う事にした。皆それぞれが袋一杯の収穫。夕陽をながめ、温泉に入り、友の手作り料理を頂き、満天の星空を眺めて帰路についた。楽しい一日でありました。おまけは306個の貝を味噌汁で頂き、貝殻を並べて遊び楽しんだ事。



2011年8月15日月曜日

百子の花日記 115(番外編)






7月の初め、ひよどりが枇杷の木の枝に、巣を作り始めました。8月の上旬になると、卵を温めて、ヒナが孵りました。毎日、何度となくえさをとっては噛み砕いて、ヒナに与えています。親鳥がいない時に巣の写真を撮ろうとして帰って来た親鳥と鉢合わせして、びっくりさせてしまったりした事もありましたが、昨日無事にヒナが巣立ちました。窓の外、わずか50〜60cmの処に掛けた巣だったので、ほぼ毎日観察していた事もあり、安堵感と寂しさが残りました。そして、この夏はスズメバチも外壁の中に巣を作っていて、何処から入って来るのか、2度も家の中を飛び回り大変でした。刺されたら大変なので、こちらは退治しました。以来、羽音がするとドキドキします。

百子の花日記 114



8月13日。盆迎えの花とお供えを飾りました。

山本教行 作 灰釉四方瓶 ムクゲ、金水引、タデ、 ルドベキアタカオ
             八重桔梗、踊り子草(つる)、フロックス 

       灰釉水差し ほおずき、メドーセージ、赤水引

2011年8月14日日曜日

鹿児島・宮崎へ






秋に八女と福岡で行う予定の「十八番の会」準備を兼ねて、先週の月曜日から3日間、鹿児島・宮崎の二人の作り手の方々を、それぞれの仕事場にお訪ねしました。鹿児島・大口在の川野恭和(かわのみちかず)さんは、九州では数少ない国画会・工藝部会員の一人として、先の「国展・福岡展」開催に尽力。瀧田項一(たきたこういち)門下の一人で、弟子入りから40年近く磁器の仕事を続けて来た作家です。
また、宮崎・国富町三名在の松形恭知(まつかたきみとも)さんは国画会・工藝部準会員として、ここ10年程、活発に各種公募展に応募。入賞、入選を続けている作り手です。
驚くのはその経歴で、つい先頃まで30年間教師として、関東圏の中学に奉職。教職をこなしながら、陶芸に関する知識や技術を自らのものにしてしまう努力の人です。ただ、高校生の頃から近所の伊勢丹デパートで開催されていた草泥社の展覧会等を見ていたと云う人ですから、眼筋の良い人なのでしょう。きちんと成形され、清潔な感じを与える品を作り出す力を持った人です。

さて、大口の川野さんをお訪ねするのは、かれこれ25年ぶりです。記憶にある工房の佇まいよりも棟が増えており、そんな棟のひとつ作品展示室隣の8畳の部屋に、今回の旅に同行した長男と二人で泊めて頂きました。午後早めに到着した事も有り、近在の「曽木の滝」や、明治時代の発電所跡などに連れて行って頂いた後、近くの温泉へ。
良い気持ちのまま、母屋で自家製の野菜料理や季節の鰹など、奥様のお手料理をたくさん御馳走になりました。今回、川野さん・松形さんをお訪ねするについて、私の乏しいコレクションの中から、お二人に見て頂きたいものを車に積み持参しています。その中の、ベトナム製で磁器の型モノの食器(機械ロクロを使ったものとの事)を川野さんに見てもらいながら、磁器の仕事のあれこれを川野さんと話すのが、この旅のそもそもの目的なのです。

段ボール三箱分の陶磁器を次々に開けながら、私の考える食器の有り様を作り手の立場にある人と話す楽しさ。仲立ちとして眼の前に品物があるので、話が抽象的にならずわかりやすく、お尋ねもしやすいのが良いところです。そんなこんなで、あっという間に時が経ち、12時を過ぎて床に入りました。翌朝、早めの食事の後「十曽(じゅっそう)」と呼ばれる地域の人工湖へ連れて行って頂いた後、仕事を手伝い始めた御長男とお話をしたり、登り窯や仕事場を見せて頂いた後、催事撮影用の品を選びお別れしました。その後、宮崎県国富町在の松形さんの仕事場へと向かい、同じ様に持参の陶磁器あれこれを見て頂いたり、撮影用の品を選んだ後、その日泊めて頂く事になっている宮崎市内のEさんの御宅に向かいました。

“b・tan ぬぐい”の事ふたたび





充分に準備が整わないまま、7月の末から無理して始めた「b・tan ぬぐい展」でしたが、3週間が過ぎて、ようやく展示も店に馴染んできました。商品の種類が10種類程で、動き方が読めない事もあり、最初は少なめに送って貰っていたのです。でも、手拭い等を一人で4・5本買って下さる方もあったりして、すぐに在庫が底をつき少量づつとはいいながら、これまでに4回も追加で送って貰う事になり、面倒を見て下さっている大澤さんに申し訳ない限りです。同時期に「b・tan ぬぐい展」開催中の山梨のギャラリーでも、思いのほか皆さんの反応が良いのだそうです。暑い夏限定の催事ではありますが、新作の「注染手拭い」は、あまねやの定番として通年で取り扱う事になりそうです。

2011年8月13日土曜日

“残暑見舞い”への返信 ーイギリスからー



静子さん

本当に久し振りの、静子さんからのお便り嬉しく拝見しました。ここ太宰府は6月中雨続きで、家の中がカビだらけのひどい状態になり、店の状態も催事をやっていない事(当然、大震災の影響)もあって、一人のお客もない日が続いたりして、このままだと店を閉める事を本気で考えなければいけない、そんな状態が続いて二人で落ち込んだりしました。百子はそんな中、早目の家賃その他の支払いをなんとか済ませた上で、娘からの誘いもあり、6月半ば過ぎから2週間程、オーストラリアの娘の処に半年ぶりで出掛けました。楽しかった様で、帰って来た時は随分元気になっていて、ほっとしました。この処、1歳半を過ぎた2番目の孫娘・実輪が歩く様になり、また言葉も覚え始めて、私達を楽しませてくれる様になりました。金髪碧眼ですが、気性その他が娘にそっくりで驚く程です。しかし、娘の亭主のモーガンは自分の父方の祖母にそっくりだとも言っていますから、同じものを見るにしても、人の見方は様々というのが妥当なところなのでしょう。

7月になり、いつもより2週間程早く梅雨が明けたとたんに暑くなり大変でしたが、それよりも不気味だったのは蝉の声が一切しない事でした。7月も末頃にようやく鳴き始めて安心しましたけれども、こんな不気味な梅雨明けは覚えがありません。そんなこんなで、いま「あまねや」では、夏中ずっと8月の末まで小さな催事を二つ続けています。9月には、筑後地方の八女で同じ催事をやり、なんとかこの年を乗り切らなければと思っていますが、さてどうなりますやら。
庭木の剪定の話は笑ってしまいました。奮闘の様子が目に浮かぶ様ですし、5回も電気剪定機の電源コードを切ってしまう処など、静子さんらしくて本当に良いですね。
自分に出来る事を発見しながら、少しづつ暮らしを自分の方にたぐり寄せ、行きつ戻りつの「気持ちの振幅」を、少しでも小さくして下さる事。それが私達を含め、遠くに離れ心配して静子さんを見守っている御友人方の願いなのではないでしょうか。

原発災害の影響は、当然福岡にもあります。数値の形で出て来るものもあれば、人の気持ち、あるいは大不況と云った形の影響もあります。しかし、事故が起こるまで、こんなに危ういバランスの中に、私達の生活が支えられてあった事に無自覚であった、この事が一番の問題だったと個人的には思っています。そこから始めて、自身がいったい何をどのように変えて行けば、少しでも希望を持つ事の出来る世界を取り戻せるか、そんな事を考えています。そこで、7月中は空調を入れず、冷たい水の提供と保冷剤の貸し出しで、お客様に対応したりしました。笑ってしまう程ちっぽけな事ですが、ともかく出来るところからと思っています。

4月に7年ぶりで丹波の柴田さんの個展をやりました。その折、静子さんから頂戴したチューリップが愛らしく咲き、それを百子が小さめの水差しに入れたものを写真に撮っています。いつか静子さんに送ろうと思っていたものと、先日店に来て下さった大澤美樹子さんと一緒の写真を、ファイルで送ります。お元気で。また便りを書きます。

2011年8月2日火曜日

百子の花日記 113





7月に生けた花、その2。

薮庭の花。赤水引,金水引、アズマギク。
     名残のアジサイ。
     薮茗荷、メドーセージ。
     鹿子百合(しろ)、人参木、キョウチクトウ(ピンク)、
     たんどく。

2011年8月1日月曜日

百子の花日記 112






7月に生けた花。頂いた花と薮庭の花で生けました。

頂いた花 ルリタマアザミ、ノコギリソウ(ピンク)、人参木、
     ミゾハギ、サクララン

薮庭の花 白桔梗、紫八重桔梗、メドーセージ、タデ、薮枯らし
     ムクゲ(白スジ入り)