2012年1月31日火曜日

初稽古





1月30日。津福の熊井邸で、今年最初の茶の稽古を行ないました。
3年ぶりで茶の稽古に参加する姉弟子のS さんと最寄り駅で待ち合わせ、車で熊井邸へ。昼過ぎに到着、すぐに準備を始めました。
参加者は熊井さんを含め8人です。今回は熊井邸の御茶室の炉を使った稽古なので、まずは先生のEさんに炭点前を見せて頂いた後、参加者が揃うまで薄茶のお点前の稽古を始めました。一人目の稽古が終わった処で全員が揃い、まずは御濃茶を頂戴しました。
茶碗二つを使い、4人分づつの濃茶を先生のEさんが点てて下さり、主菓子を頂戴したあと美味しく頂きました。その後、薄茶の点茶の練習をし、午後4時30分頃無事終了しました。普段は、我家での風炉を使った稽古ばかりなので、3月の桃の節句の時に今一度、熊井邸で炉を使った稽古をする事になりました。

2012年1月29日日曜日

一日八女・広川に遊ぶ







グラハム展最終日の今日。福岡アジア美術館に於ける「魅せられてインド展」視察の為、東京から岩立広子さん一行が来福。1987年6月、今泉時代のあまねや工藝店で岩立さんのコレクションと、当時の“バザール岩立”の染織品を店いっぱいに拡げ並べて皆さんに見て頂いたり、また岩立さん撮影のスライドを使いながら、興味深いインドのお話しを伺ったりした楽しい思い出があります。その時以来の来福ですから、実に25年ぶりになります。今回、29日の昼から夕方に掛けて福岡周辺で何処か見るべき処を、との岩立さんの御要望に応えて、広川町で藍染手織りによる久留米絣工房経営の山村建さんの工房と近在の“石人山(せきじんさん)古墳”を訪ねる事にしました。

さて昼過ぎに東京の皆さんを空港に出迎え、レンタカーの手続きを終えた後、空港傍の大きな“うどんや”へ。お昼時の事とて大変な混雑で、車を停めるのに一苦労しました。一行6人銘々が暖かい饂飩をすすった後、いよいよ出発です。行きの運転は東京組の御一人Wさん。車載のナビの使い方がよくわからず、目的地の設定をしたつもりが、女性の声で流れて来る道路情報がなんだか出鱈目なのです。
その声と掛け合い漫才めいたやり取りをしながら、指示を無視して九州自動車道の太宰府から広川へ。インターを降りた後「近くまで来たのだから‥」と、このナビを信用したのが間違いでした。指示通りに走ると、目的地である山村さんの工房からどんどん遠くなるのです。電話でお尋ねしたり、時に車を降りて家を探しながら、何とか工房に辿り着く事が出来ました。

工房の入り口には、高く揚げられた干し竿に染められた糸や反物が陽を受けて風に翻り、藍の香りと相俟って、いかにも手の仕事を生業にしている人のお住まいらしい佇まいです。さて、工房の奥では、埋けられた12本の藍瓶の一つに御子息が括った糸を漬けては絞り、はたく作業を繰り返している処でした。それから、客間に上げて頂いて織り上がった久留米絣の様々な反物を見せて頂きました。お茶を御馳走になりながら話が進むうち、岩立さんと山村さんに共通の知人がある事が分かったりして、ここでも縁の不思議さを思いました。
その後、八女・朝日屋酒店の高橋さんに石人山古墳まで御案内頂き古墳見学の後、帰りは私の運転で夕方6時頃無事“あまねや工藝店”に帰着。お茶を飲んだりグラハム展を見て頂いたりしながら1時間程を店で過ごし、それから“洋食屋 S ” に移動して皆で楽しく食事をいたしました。グラハム展最終日の良い締めくくりになりました。

2012年1月21日土曜日

1月21日の事





1月21日から3月11日まで、福岡市のアジア美術館で開催されている“魅せられてインド 展”に行って来ました。インドをモチーフに表現された絵画や写真の他、14人のコレクターによって蒐集された様々なものを通して、古い文明発祥の地であり多様な文化を持つインドを紹介する、これまでに例を見ない切り口の(今展担当学芸員・五十嵐理奈氏の言い方を借りれば、“インドを集めた人を、美術館に集める”)取り組みです。集められた物の選択の適否はさておいて、この14人のコレクターのコレクションの中に、旧知の岩立広子さんの染織品54点が含まれており、それを見に出掛けたのです。展示室最後のさほど広くない部屋に、木版更紗のスカート用生地を始めとして、カンタと呼ばれる刺し子布やアップリケ布などが美しく並べられていました。岩立さんの、40年およそ80回近くに及ぶ渡印の中で集められた、インド関係の(質量ともに世界的と言っても良い)貴重な染織品およそ4000点の中のほんの一部であるにしても、見応えのあるものでした。正直なところ、これが美術館の一部でなく全館に並べられていればと望むのは望み過ぎと云うものなのでしょう。

さて今展の展示の為、東京から出掛けて来た“岩立フォークテキスタイルミュジアム”の学芸員Hさんが、夕方当店開催中の “J・グラハム展” を見に来てくれました。民藝にも興味のある彼女とおしゃべりしているうちに、あっという間に閉店時間が来てしまい夕飯を馴染みの S で食べる事にして、細君と3人で S に行きました。なんと、そこにおなじみのYさんが家族で食事をしているではありませんか。驚きました。実は、今日1月21日は私の誕生日なのです。ただ、Hさんの予定が今ひとつ確かではなかったものですから、Sへの連絡が閉店後になってしまったのです。幸い、Yさん家族の隣のテーブルを取っておいて貰ったので、楽しく食事が出来ました。シェフのS君が、当夜のデザートにロウソクを一本立ててくれ、店内4グループ10人程の人に“Happy Birthday”を唄ってもらって、私の誕生日を祝ってもらいました。
皆さん、有難うございました。

2012年1月14日土曜日

百子の花日記 151





友人のEさんから、椿の花をたくさん頂きました。半月ぶりの活け替えです。我家の花も足していれました。

岩井窯扁壺     椿三種
岩井窯瑠璃釉面取壷 南天、椿(本阿弥)
西川ガラス角花入れ 椿(西王母)、タケシマ蘭
出西窯焼〆水差し  枯れものビナンカズラ、黒椿

百子の花日記 150





ジョン・グラハムの会で花を生けました。

トルコ水差し   ポピー
出西六寸ボール  水仙三種
フィリピン手付籠 枯れ花アジサイ
山根窯楕円大鉢  チューリップ三種、かすみ草、ソケイ、ヤドリギ

2012年1月12日木曜日

ジョン・グラハムの事







明日14日から約2週間行なわれる “J・グラハム個展”を前に、私とジョン・グラハム作品との最初の出会い、そしてジョン・グラハムの事を書いてみます。福岡に於ける J・グラハム3回目の個展(2001年3月)の会の案内状に、私は次の様に書いています。

’97年の6月、美術雑誌のページ上に J・グラハム作品の写真を見出した時、親しみと同時にその作品の持つ表現の新鮮さに強く惹かれました。それはまるで一目見て人を好きになる様に私を大胆にし、連絡先であった浦和の柳沢画廊に、その日の中に電話をし、福岡での個展開催の申し入れをしたのでした。しかし、柳沢さんを通じて申し入れをしたジョンとの一回目の交渉は上手く行きませんでした。よく考えれば当たり前ですが、何処の誰ともわからない人物からの申し入れが、そう簡単に受け入れられる筈がありません。諦めかけた処に、“福岡書芸院”主幹の前崎鼎之さんから、「全面的に援助する」との有難い申し出でがあり、’98年の春に書芸院一階の“ギャラリー聚”で第1回展開催の運びとなったのでした。後略

上の文章中、“諦めかけた理由”とは「作品の半数買い取り」という極めて厳しい条件の提示にあって、今も昔も変わらず貧乏経営の当店には、その時点で諦めるしかない様な高いハードルだったのです。
無事に開催が決まって臨んだ初日の朝、欲しい作品を買う為に“ギャラリー聚”の開店前に一番で並んだのは言うまでもありません。会が終わってみれば、前崎さんのご協力のお蔭もあり、大成功でした。
その後2001年の1月には前崎鼎之さんと長男の成一さん、それに私の3人で、アイルランドのジョン・グラハムを訪ねる旅を行ないました。私にとっては、初めてのヨーロッパ。前崎さんにとっても、パック旅行でなくすべて自分たちで計画を立て、例えば列車の窓口に行き自分で切符を買う、言葉の不自由な人間にとっては、この一事を持ってしても、とても出来そうにない様な事を自分で引き受けてやらなければならない、そんな旅行だったのです。その時の旅行の詳細については、前崎さんが自分のブログ(あまねや推薦サイト“福岡書芸院”からWeb site“前崎鼎之”へ、次に“出会い”へ)の中で既に書いて下さっているので、そちらを見て頂く事にいたしましょう。

それ以降、2003年には J・グラハムが家族(細君のイヴォンヌと、その当時7歳だったレイチェル)で来日した折りには我が家に二泊し、友人のS 君が作った“懐石料理”やY 寿司の“にぎり寿司”を食べたり、また太宰府に散歩に行ったりと楽しかった様です。さて、J ・グラハムは1962年ダブリンの生まれ。父親が工場労働者(有名なギネスビールの)であった為に貧しく、27歳まで大学に行く事が出来なかったのだとか。元はウィスキー工場だった母校の美術大学では、版画の刷師としての勉強をし、後に版画家に転身。魅力的な作品をたくさん作り出しました。今回の展示で一番古い作品は1996年製作の“Small Etching"で、最も新しい作品は2009年作の“Plane E.G.Ⅰ・Ⅱ”です。旧作から新作まで、全28点。充実したよい展覧会になりました。どうぞ皆様お出掛け下さい。

2012年1月2日月曜日

熊井邸にて






正月2日の今日、熊井邸で「年取り」と「正月茶会」をいたしました。友人 K 君が音頭をとって、津福の熊井邸の古い漆器(外箱に大正6年の銘あり)を活用するために、催されたものです。15人程の人が三々五々集まって、まず「年取り」の行事から始め、次に用意された七寸程の金蒔絵六段重にびっしり詰められたお節料理を順に頂きました。こちらで用意した黒豆・筑前煮・田作りの他は K 君夫婦自家製の、紅白なます・昆布巻き・出汁巻・クワイやユリネを炊いたもの等々、それに加えて彼らが搗いた杵つき餅を使った雑煮(これも約100年前の金銀蒔絵の輪島塗)まであり、まことに充実したメニューでした。

一方、意気込んでのぞんだ「正月茶会」は前崎鼎之さんが風邪で欠席の為、私一人で点茶せざるを得ず、始めてはみたものの、先に予習した筈のお稽古の内容はすっかり頭の中から飛び去って、前崎さんの予言通り“荒れた(支離滅裂の)茶会”になりました。こんな私のお茶を飲んで下さった十数人の方々、まことに有難うございました。こんな中で、充実していたのは若い琴奏者・LEIHAさんの弾く沢山の琴の名曲(春の海や六段など)の数々で、お酒の酔いも手伝ってまことに良い気持ちにさせられました。LEIHA さん有難うございました。

2012年1月1日日曜日

あけましておめでとうございます




大晦日の昨日、百子と長男の嫁 M子の二人でお節の準備をいたしました。毎年のお節の準備は年をまたいでになりがちでしたが,今年は見習いのM子の手伝いもあって早めに終了。7時頃には年越し蕎麦を食し、ゆったりとした大晦日を迎える事が出来ました。今年も1月の半ばから始まる催事を始めとして、皆さんに興味を持って見て頂ける様な催事を用意するつもりです。どうぞ、ご贔屓に!