2012年2月26日日曜日

"国武絣(くにたけかすり)を追う”展



本日までの予定で八女伝統工芸館に於いて開催されている、“国武絣を追う 展”に行って来ました。旧知のSさんから、パンフレットやチラシと共に丁寧な御案内の手紙を頂戴した為です。その“国武絣”という名を、私は初めて聞きました。パンフレットによれば、八女市の国武地区で200年前に生まれた牛島ノシによって考案された小絣の技法の一つで、「織締」と云う技法により、ミリ単位のごく細かい絣糸によって織られた小柄の絣、の事だそうです。技法としては、久留米絣のほか大島紬にも受け継がれているのだとか。

地元・久留米では“文人絣”とも呼ばれるこの“国武絣”を見て、思い出した事があります。仕事を始めて間がない頃ですから、おそらく30年近く前の事でしょう。伊予絣の屑糸を利用して織機(はた)に掛け、普段着用に使う“みじん絣”の一種を織っている、愛媛県の海沿いにある小さな町の仕事場を訪ねた事があります。会場に並べられている“国武絣”が、この“みじん絣”にそっくりでした。この“みじん絣”、染めはひどいものでしたが、数反を購入して送って貰った事があります。その町を訪ねるについては、松山から八幡浜行きのバスに乗って延々と行き、帰りは松山に引き返さず、八幡浜から別府行きの夜行のフェリー(今はもうないでしょうが、夜乗って朝早く別府港に着いた覚えがありますから、たぶん夜行フェリーだった筈。乗り場は、裸電球が一つぶら下がっているだけの寂しい所でした)に乗って、福岡に戻った覚えがあります。忘れていたそんな記憶を呼び覚ましてくれた、今日の“国武絣”展でした。

2012年2月22日水曜日

百子の花日記 155 (ムラサキさん)



私が高校生の頃、上から下まで全身を紫で着飾った、30歳くらいの女性(ひと)と毎日行き会っていました。いつも、紫なのです。ワンピースもブラウスも、スカートもセーターも、帽子も傘も、バッグも皆、紫なのです。ウェーブの掛かった長い髪で、そのスタイルがひどく目につくのです。紫の似合うその人は、電車に乗って毎日隣町からやって来ます。そんな人を、皆がムラサキさんと呼んでいました。最近、私も紫が好きになっています。遅まきながら、大人の色が着こなせる年齢になったのでしょうか。先日の誕生日に、紫色のチューリップとスイトピーをプレゼントされました。妖しい色の紫、高貴な色の紫。今年はどんな色に染まりましょうか?

2012年2月19日日曜日

百子の花日記 154







今朝、娘から久し振りに連絡があり、Skypeで話しました。
昨日からの雪降りで、薮庭は雪の花でいっぱいです。PC(カメラ付き)を外に持ち出し、孫娘に雪景色を見せました。また、娘の注文でYoshiが雪ウサギを作りました。沙夜はその雪ウサギを絵に描きましたよ。

続・案内状の作り方




現在、3月中旬にスタート予定の福井県鯖江市在、河和田塗の塗師・中野知昭さんの催事DMを製作準備中です。写真および文章原稿のデータ類もデザイナーの岩下建作さんに送付が終わり、あとは校正を待つだけのつもりでいた処に、当の岩下さんから着信があり、送ったデータがDM製作には不十分、との事です。話を聞いてみると、私が作り手の中野さんに依頼して撮ってもらったDM用の写真がお気に召さない様子なのです。いつもの案内状の様に作品を写真スタジオに持ち込み、スタジオTechの藤田さんに撮影してもらうのが一番間違いが少ない事はよくわかります。ただ今回、敢えてそうしなかった訳が私の側にあって、岩下さんに申し訳なくはありましたが、私の希望を呑んでもらう事になりました。その訳をお話ししてみます。

DM作りに当たってまず考えるのは、どう撮れば“催事の意図”を写真に反映させたものになり、それを補強する文章原稿が出来るかと云う事です。ある時期まで、DM用写真の画面構成から文章原稿に至る迄、
すべて自分でやっていた事、しかしそれに飽き飽きして、写真は全面的に藤田さんに、またDMデザインは岩下さんに任せる様になって、初めて良い案内状が出来始めた事はお話ししました。
今回の催事は従来の案内状と違い、写真の美しさや画面上の納まりより、たとえどんなに拙くとも、漆器の作り手である中野さん自身の日常の食卓風景が欲しかったのです。当然、それは使う側の私達の食卓風景と大きく違います。その違いを見て貰う事が一つ、そして中野さんの日常と作る事が重なってある事を、使い手の皆さん(お客様)に理解して頂く事、これが大事なもう一つの理由です。今展は、作り手と使い手の食卓の間に橋を架ける試みの一つ、のつもりです。それが“上手く行くのか行かないのか”わかりませんが、中野さんの漆器を店に置き始めたここ2年位のお客様の反応が、私の希望になっています。

2012年2月13日月曜日

百子の花日記 153



1月に生けた花。薮庭で、折れた水仙を100本採って土手を上ろうとした時に、照り葉の未央柳(びようやなぎ)の傍に、綺麗に赤に染まった寒菊を見つけました。黒の侘助と一緒に、山本教行さんの花入れに生けました。この花入れは、どんな花でも上手く入ります。

2012年2月11日土曜日

百子の花日記 152





ジョン・グラハムの会での花入れは、会にあう花が庭になかったので、買い花ですませました。春を先取りしたピンクと黄色のチューリップに、白のかすみ草、他にヤドリギとソケイの葉の花生けは、道行く人の反応が面白かったです。「わー、きれい!」と言って、ウィンドウを覗いて行く人もいれば、中には「チューリプは春の花なのにねー!」と云う声も聞かれましたが、近所の人は「今回の花が好き!一番いいよ。」と言ってくれます。ウィンドウに生けて、こんなにいろんな反応があるのも、ポピュラーで色の綺麗なチューリップの所為ですね。1月13日に生けて、半ばで少し花は入れ替えたのですが、今日2月11日もまだ咲いています。頂いた数寄屋侘助も薮椿も、同じ頃に生け、堅い蕾を整理して花を咲かせました。寒さの所為で、花もちが良いのかもしれません。

2012年2月6日月曜日

誕生日のケーキ




1月31日。この日は細君の誕生日です。「エッ、何回目か?」と仰るのですか。マー、数十回目と云う事で御勘弁願います。その誕生日のケーキを作り(る努力をいたし)ました。最初考えていた意匠が失敗!生クリームで塗りつぶして、無難なMに変更しました。当日、店に来あわせた数人の人に食べてもらいました。その御一人、Yさんからは美しい花(チューリップとスイトピー)を頂戴しました。

2012年2月1日水曜日

BANGALOW日記 10 2011年から2012年へ







皆様、大変遅ればせながら、改めまして明けましておめでとうございます。昨年の11月からの報告もかねて日記を書いております。BANGALOWでは毎年11月末に“BANGALOW−SHOW”という、言わば農業祭の様な催事が催されます。牛や鶏の品評会や放牧犬レース、様々な野菜や果物、フルーツケーキやジャムなども審査されます。我が家に面している会場のBANGALOWショーグラウンドでは、ショーの始まる2・3日前から牛達の声が響き始め、カウボーイ達の泊まるテントやキャラバンでいっぱいになります。子供達はいろんな動物達と接して楽しみましたし、最後の晩には花火も上がって、賑やかなシーズンの始まりを感じました。
今年のクリスマスもパインツリーを切ってきて、薪ストーブの横に飾りました。町にも灯りがともって綺麗でした。実輪は2歳になりました。大晦日のお祝いに近所の農夫さんが採れた枝豆を持ってきて下さいました。最近日本産の有機栽培のお醤油が中々手に入りにくくなってきまして、寂しく感じていたところでしたので有難く皆で頂きました。あけて1月2日に沙夜は4歳になりました。BANGALOWに来てから、あっという間に2年が過ぎ、子供達も大きくなりました。沙夜は明日からシュタイナーの幼稚園が始まります。今までの少人数のシュタイナーの保育園と違って、20人ほどの子供達と週2日過ごすことになります。実輪は沙夜が通っていた保育園に行き始めました。

もう少しで東北大震災から1年が経ちます。オーストラリアでは、次第に日本の食品が手に入らなくなり始めました。環境問題に暗い社会問題、戦争、政治騒動のニュースも絶えません。先日、夫のモーガンに“こんなに暗い世の中で将来に希望はあるのだろうか?”とつい問いかけてみたところ、“君、僕らの子供達のために何でもする覚悟があるだろう?”とかえされました。私が“もちろん”と答えると彼は、“では子供達の未来が明るくなる様、僕らが努力しなければ。将来に希望が持てる様、自分でそれを作り出すのだよ。”と言ってくれました。
皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。