2012年9月29日土曜日

山本教行の仕事・八女展 その6

今日は高橋宏家の横に立つ銀木犀が、ひときわ良い香りを会場に届けてくれます。ここで暮らし始めて約10日間。最初の3日間はひどく忙しかったものの、その後はまるで長めの秋休みを、親戚の家でゆっくり過ごしているような心持ちです。とは言うものの、ここでまだキチンとご紹介出来ていない柚木作品を幾つかお目にかけましょう。麻のれん「三つの瓜」。丈は少し短めですが、地の藍色と三つの瓜の色の取り合わせが素敵です。三つの瓜もハチドリも共に、柚木作品特有の、表現に何処かしら飄逸なところを感じさせながら甘さに流れていない、そんな造形になっていると思います。また広幅布の「ハチドリ」は、生地の白と模様の赤のバランスが何とも見事で、個人的に使ってみたいと思いました。

会場横に立つ銀木犀
麻のれん 三つの瓜
広幅布 ハチドリ

2012年9月28日金曜日

山本教行の仕事・八女展 その5

会場である高橋宏家の隣の空き地に銀木犀の大きな木があり、香り高く匂うのを催事3年目にして初めて知りました。午前中は、八女市内の空き家2軒を見て廻りました。平日ですと会場に来て下さる方は決して多くありません。でも今日は、八女近くの津福にお住まいで10月1日にミラノ行きが決まっている、彫刻家の熊井和彦氏が会場を訪ねて下さいました。我々も含め、(イタリア風に)4人でワインを3本明けて良い心持ちになりました。そのおかげ(所為?)で、同氏は今展出品の麻のストールを買ってくださり、あまりに良くお似合いなので、記念写真を撮りました。熊井さん有難うございました。





2012年9月27日木曜日

山本作品のご紹介

今回、春5月の会からわずか4ヶ月ですが、見慣れぬ仕事(掻き落とし技法の新作)が出て来たのにはびっくりしました。それらを中心に作品をご紹介します。

掻き落としの結び模様二種。
永遠(終わりがない)のモチーフだそう。
大きな紐とも腕組みのようにも見えます。
かつて色絵で試みた意匠が復活。
興味深いのはこれ。かつて、河井寛次郎がスリップを象嵌の
技法で試みた様に、掻き落としでスリップの意匠を試みています。
塩釉瑠璃面取りの仕事。
左は徳利、右は花入れ。
塩釉花入れ三種。
様々な意匠の箸置き。
新作白釉のポット
新作白釉の鉄鉢型の鉢。

百子の花日記 178

山本さんの会で花を入れました。

シュクシャ
紫陽花
ツルボ、ヒロハウシノケグサ、ヌカキビ
キクイモ
キンミズヒキ、ショウジョウソウ
ホトトギス、ルドベキヤタカオ、タイワンホトトギス
シロハギ、ショウジョウソウ
羊歯、彼岸花(アカ)
彼岸花(シロ)
ヌバタマ(ヒオギ)、彼岸花(シロ)
アジサイ

2012年9月26日水曜日

山本教行の仕事・八女展 その4

山本展4日目の24日。午前中、築上郡の東下町で6月から夫婦でおくなが屋を始めた奥永進一郎さん一家が訪ねて来てくれました。彼らは昨年の東日本大震災前までは、栃木県の那須で“Brown Mountain Bakery”という名前のパン屋をやっていた夫婦で、震災を機に進一郎さんの実家がある東下町に帰り、改装してお店を開いたのです。那須では大きな電気のパン焼き窯を使っていたそうですが、今は家庭用のガスオーブンを使いパンやスコーンを焼いているのだとか。また三反の田で米を作り、半農半商の暮らしを目指す彼らの暮らしぶりは堅実そのものに見えます。前から彼らを「朝日屋酒店」の高橋康太郎さんに紹介したいと思っていたので、まことに良い機会でした。



また夕方から夜にかけて、会場の高橋宏家一階で昨年同様、今月のお茶のお稽古をいたしました。私どもは、相変わらず風炉を使ったお点前を、またOさんは箱点前を其々お稽古いたしました。先生のEさん始め皆が楽しみにしている稽古終了後の食事を、今回はOさんが担当してくださり、塩麹に漬けた鶏肉やレバーを焼いたもの、又しいたけ・里芋・人参を炊いたものにイチジクのサラダ、そして寿司が三種類と盛り沢山なメニューで、みな大満足でした。Oさんお世話様、有難うございました。




山本教行の仕事・八女展 その3

この項では新作も含め、山本さんの仕事の幾つかを具体的に御紹介いたしましょう。

会場一階、奥の六畳間。柚木作品の
暖簾「ペルシャ猫」や小巾染布「六人」が見える。
柚木沙弥郎・型染絵二種
型染麻ショール二種
型染パネル二種
白釉珈琲碗とポット
鉄塩釉輪花筒花入れ
灰釉八寸皿
エッグベーカー

2012年9月25日火曜日

山本教行の仕事・八女展 その2

「山本展」二日目の22日午後。山本教行さんを囲んで、あれこれのお話を聞く会をいたしました。山本教行さんが仕事を始める切っ掛けになった三人の人。吉田璋也、B・リーチ、そして坂村真民氏。この方々はみな故人になられましたが、山本さんとそれらの方々との関わりからお話を始めて頂きました。覚えている事を少し書いてみます。

まず、吉田璋也氏の事について。岸田劉生の絵が好きで、白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、B・リーチなどの名前に親しんでいた山本少年は、当時通っていた高校の教師に鳥取市内で耳鼻咽喉科の医者である吉田璋也氏が、それら白樺派の人たちと親しい行き来があると聞いて、約束も取り付けず(思い立ったらすぐに行動する、ここが山本さんらしい処です)早速出掛けます。行ってみると吉田先生は診察中で、一段落するまで鳥取民藝美術館で展示してある物を見ながら待っているように、との吉田先生の伝言です。そこで、初めて李朝の白磁の仕事に出会います。その後、吉田先生の道具屋廻りに同道したり、鳥取民藝美術館の展示替えの手伝いをしたりする内に吉田璋也氏との師弟の縁が深まって行きます。

高校3年の夏休み。進路を決める際の手掛かりとして、出雲の出西窯(しゅっさいがま)で一夏、轆轤を引いたり登り窯を焚く手伝いをして、焼き物を自分の一生の仕事にと云う思いが深まります。そんな折、東京でB・リーチの個展が開かれると知り、高校の授業を無断欠席して(ここも直情怪行の山本さんらしい処)、ヒッチハイクで東京まで出掛けます。その折に訪ねた日本民藝館で出会った浅川園絵氏(当時、日本民藝館主事で浅川巧息女)に、ホテルに帰るB・リーチ氏の車の中に押し込まれ、車の中と滞在先のホテルのロビーで、リーチさんに話を聞いてもらうチャンスを作って貰ったのだそうです。この出会いが、焼き物を一生の仕事に、と云う山本さんの気持ちを決定的なものにします。

「念ずれば花ひらく」という言葉で有名な、詩人の坂村真民氏に出会うエピソードも不思議です。当時、一燈園にいた出西窯出身のEさんが地域奉仕の仕事で出雲に来た時、彼が残していったわら半紙に書いてある坂村真民氏の詩に感銘を受け、そこに書かれていた坂村氏の住所を訪ねます。行ってみると、氏はその数日前に建てたばかりの小さな家に移った後で、会うことが出来なかったのです。駅のベンチに座り途方に暮れる山本少年の隣に座っていた婦人が、見兼ねて声をかけます。事情を話すと、何とその婦人が坂村氏と知り合いで、電話を掛けてくれ駅まで坂村真民氏が迎えに来て下さって、無事に対面がかなったのです。それから一週間、その家に居候をする処から、坂村氏との付き合いが始まります。さて、数年が経ち、独立して焚いた窯が二窯続けて失敗して行き詰まった時、坂村真民氏を訪ねた折、そんな事情を話しもしないのに、帰りの港まで御夫婦で送ってきて下さり、いよいよ乗船の時にのし袋を手に握らせて、「教行さん、これは独立のお祝いだから。」と当時のお金で10万円という大金を下さったのだそうです。そのおかげで苦境を何とか乗りきれた、と話す山本さんの眼は潤み声が震えています。私ども会場にいる者も、思わず貰い泣きをいたしました。強く願うことの大切さを教えられた座談会でした。




その夜の事。八女の町でドキュメンタリー映画を撮っている一行、旧友を含む5人が会場の高橋家を訪ねてくれました。一緒に食事をし、お酒も呑みました。私は例によって酔いつぶれて、寝てしまいました。翌日曜の夜は、地元の八女で「手仕事ビワニジ」をやっている川島玲未さんと福岡のムーン・テーブルに勤めながらパン焼きの勉強をしている智子さんと一緒に食事をしながら12月に予定している川島さんの会の打ち合わせをいたしました。実りある話が続きながらも、まことに忙しい三日間でした。





2012年9月21日金曜日

第2回 山本教行の仕事・八女展始まりました

本日21日、「第2回山本教行の仕事・八女展」が無事に始まりました。今回は山本教行さんが会場に直接来て下さり「物ならべ」をして下さったおかげで、いつもとは違う見え方を作ることができました。また、柚木沙弥郎氏の型染めの仕事も、数は少ないものの良い仕事が多く、山本作品と相まって素敵な空間を作ることができました。
平日にもかかわらず、遠くからお出掛け頂きました皆様ありがとうございました。

会場二階の板の間に山本作品の新作が並ぶ。
会場一階入口の様子。
土間には小巾染布や型染絵各種。
柚木作品のクッションカバー。
山本作品の白釉群。
今回も豊富な土鍋類。
床の間の壁に柚木作品の暖簾「跳ね鯛に蓮」。
会場一階の元押入れの作品群。
会場二階で新聞記者の取材中。
会場の高橋宏家。