2016年9月27日火曜日

追焙煎珈琲の楽しみ

1週間ぶりで八女から太宰府の自宅に帰り
着いてみると、キンモクセイが満開でした
深煎りの珈琲に出会ったのは、いまからざっと38年前の事です。
古いモルタル二階建ての一階部分10坪程を、自分で店舗に改装する内装工事をやりかけていた時で、料理人の若い友人 (当時20歳) 佐々木志年君が、“珈琲美々”の森光宗男君を紹介してくれたのです。
たまに入る喫茶店の酸っぱい珈琲に辟易していた事もあって、当時の“美々”の珈琲がいっぺんで好きになりました。以来、工事中の現場まで珈琲を届けてもらったりして、個人的にも店同士としても、親交が深まりました。’90年に、地上げで現在の平尾の店に移るまで、そんな付き合いが続きましたが、地上げを機に、住まいを太宰府の母の家(現在の自宅)に移した事も手伝って、“美々”から段々足が遠のきました。2009年、“珈琲美々”が赤坂の護国神社付近に移動してからは、ますます縁が薄くなり、自分で飲む珈琲も市販の深目の焙煎の珈琲をあれこれ試す日が続きました。そうこうする内に、今年の一月、オーストラリアに住む娘から、以前送って貰っていたイタリアの珈琲メーカー(Lavazza)の1kg入りエスプレッソ用の珈琲豆があったのを思い出しました。


恐る恐る封を切ってみると、エスプレッソ用としては意外に浅目の焙煎であり、貰ってから時間が経っていた事もあって、有り合せの片手鍋を使い“焙じ茶”を作る要領で焙ってみたのです。それが意外に美味しくて、あっという間に1kgを消費。それに味を占めて、浅目の珈琲豆を買っては、以前からやって来た茶葉を焙じる要領で、焙煎を繰り返していました。市販の焙煎機は、中で豆が蒸し焼きに近い状態で焼けて行くのだから、蓋をした方が良いのではないか、とか「この珈琲は今ひとつ美味しくない」とか、古い友人や店のお客達から、アドバイスや悪口を貰いながら、先に御紹介した“アルミの片手鍋”、“土鍋用の少し大き目の木蓋”そして“細かい穴が開いた金笊”を使う今の形にたどり着きました。私が始めた追焙煎は、生豆からの焙煎に比べて、はるかに簡単です。ただ、浅目の焙煎とは言いながら、珈琲焙煎のプロが決めた焙煎程度を一旦壊す訳ですから、それなりに美味しくなければ意味がありません。美味しいと評判の珈琲屋で珈琲を飲みながら、皆さんに喜んで頂ける様な“追焙煎珈琲”、自家焙煎では恐れ多いので“自己焙煎珈琲 Self-roasted Coffee”、を目指します。

2016年9月24日土曜日

「第2回 山本教行plus展」明日まで

会場の「許斐本家(このみ園)」

あっという間に、「山本教行+plus 展」は明日が最終日となりました。やはり、並んでいる作品と体が展示空間に馴染むのに少し時間が必要です。会期4日間というのは、両方が馴染んだ頃に終わるので、少し残念な気がします。それでも、初めての会場で、何とか出来そうな感触が掴めたのは収穫でした。気持ちのよい催事になりました。。明日は最終日、どうぞ皆さんお出掛け下さい。

秋祭りノボリ
灯籠人形口開け公演、9月22日夜
美味しい緑茶
山本作品「陶板 宝珠」
名取作品「型染絵に型染函」
2階会場上り口

これらの画像は、今回の催事を手伝ってくれた娘の写したものです。

並びました

ご報告出来なかった新しい会場の模様です。ひとまずご報告まで。

2階会場の模様
床の間
脇床
花も入りました
2階中央にはダンボール函とベニヤ板で島を
床の間、花のアップ

2階の踊り場
1階の名取作品
1階奥の仏間に並ぶ型染絵各種と函類
1階床の間の模様
山本、名取、両作品

2016年9月20日火曜日

追焙煎(ついばいせん)珈琲のすすめ

追焙煎を施した珈琲豆
「追焙煎(ついばいせん)」とは私の造語です。あちこちで売っている浅目の焙煎の珈琲を、自分の好きな程度まで火で焙り(焙煎)、中深から深めを目安に仕上げます。こうして、手を加える事が果たしてどうなのか、それは私には判りません。市販の珈琲豆は、曲がりなりにも焙煎のプロが判断して、仕上げたものでしょうから、それに素人が手を加えるのはけしからん、という方もあるでしょう。
しかし、大仰な焙煎機を使う訳でもなく、簡単に出来て美味しく、(私は)楽しめるので、皆さんに紹介してみようと思い立った次第です。
八女の無農薬の茎茶「白折」を使って、自前の「焙じ茶」は30年以上作って(焙煎して)いて、皆に喜ばれています。それが一つの下地になって、今回の「追焙煎珈琲」につながったのかも知れません。

焙煎用の片手鍋、中がすっかり珈琲色に
木蓋は土鍋用の大き目です
画像では判りにくいですが、焙煎前
焙煎後すぐ、煙が出ています
使う道具は、手近にある片手鍋(私は片手の行平鍋)と、それより少し大き目の木蓋、そして細かい穴が開いた金笊、この三つです。
1、鍋に100g位の珈琲豆を入れ、木蓋をして強めの中火くらいの火にかけます。ただ、ご注意頂きたいのは、鍋を少し火から浮かした状態を保ちながら、揺すり返さなければいけません。2、木蓋をしたまま、中の豆を揺すっては返す、の動作を繰り返して約10分。3、鍋から煙が出始め、香りが立って来たら(追記 ’22年1月6日 この時点で少し火を弱め、鍋を傾けて焙煎の火が鍋に強く当たりすぎない様に調整します)ゴールが間近です。4、パチパチと音が出始めて(追記 ’22年1月6日 2017年11月「珈琲 美美」で来福中の大坊珈琲店の大坊さんに、追焙煎についての感想を求めた処、豆の爆ぜる音がしない様に焙煎の火の調整をする事、また焙煎終了の目安は豆の色味で判断する、とのアドヴァイスをもらいました。しかし、どうしても少しは音がするので、出来上がった珈琲豆の味と相談しながら)しばらくしたら(ここは自分の好みで、とは言っても、焙煎が深過ぎると珈琲の味が奥行きのないマットなものになってしまいます)、蓋を取り金笊にあけて団扇で煙と熱を飛ばします。5、豆が冷えてから、保存用の容器に移します。私は1回に200g 程を追焙煎します。毎朝食後、細君と1杯づつコーヒーを飲み、1週間でその200gの豆をほぼ使い切ります。昨日も八女の催事用に、多めに追焙煎しました。人が多くなければ、皆さんにも召し上がって頂くつもりです。(追記 ’22年1月6日 この記事をお読みになる方が、意外に多いので「追記」の形で、その後の私の工夫を書き足しました。皆さんのお役に立てば何よりです。)

2016年9月19日月曜日

八女「山本教行+plus展」新会場のご案内

「このみ園」正面入口、ここから店に入ります
いよいよ22日から、「第2回 山本教行+plus 展」が新しい会場「許斐本家( このみ園 )」で始まります。そこで、新しい会場の中の様子を皆様にご覧に入れます。ここに、山本作品と名取作品をどう上手く取り合わせて並べるか、それが問題です。どうぞ、お楽しみに!

中庭を抜けて、奥に建つここが会場です
濡れ縁を上がると、一階が六畳二間
左手の階段を上ると
十畳二間の二階です
中庭側の眺め
立派な床の間があり
脇床もこんな具合です
この会場に焼物と染物がどの様に並ぶのか、楽しみでもあり心配でもあります。どうぞ皆様、お出掛け下さい。


2016年9月15日木曜日

「第2回 山本教行+plus 展」のお知らせ


八女福島八幡の秋祭りが近づいて来ました。今年は22日が秋分の日です。その22日(木曜日)が初日で24日(土曜日)まで、福島八幡の「灯籠人形」の公演を始め屋台の出店など、いつもの様に賑やかに行われる予定です。今回の「山本教行+plus展」はゲストに東京在住の染色家 • 名取敏雄氏を迎えて、会場を「高橋宏家」から「許斐本家(このみ園)」に、会期も22日(秋分の日)から25日(日曜日)の4日間と会場会期とも変更して行います。会場の「許斐本家(このみ園)」は江戸時代宝永年間創業の老舗のお茶問屋です。店を入って中庭の奥に建つ二階建ての日本家屋が会場です。どうぞお出掛け下さい。


2回目の「山本教行+plus 展」を開催します。今年は、会場を昨年までお世話になった「高橋宏家」から「許斐本家(このみ園)」に移して初めての開催になります。新会場は、旧会場の「高橋宏家」から福島八幡を背にして四•五軒先の右側で、目と鼻の先。江戸時代宝永年間創業のお茶問屋です。店を入り、中庭の奥に建つ日本家屋の一•二階が会場です。さて、新しい展開を迎えた「山本教行+plus展」ですが、今展は山本教行と同世代の染色家、東京在住の名取敏雄の型染で、布や紙また函などの諸作品を見て頂きます。名取敏雄は、“73年に芹沢銈介に師事。’76年パリのグランパレで行われた「芹沢展」にも展示要員として渡仏するなど、芹沢の薫陶を深く受けた染色家で、柚木沙弥郎と同門という事になります。● 福島八幡秋祭り開催中の22日から24日まで、八女福島と天神バスセンター間に直行バスが運行されます。お問い合わせは九州高速バス(0120-489-939)。● 今年は会期が例年の半分です。お見逃しのない様にお出掛け下さい。(あ)

会場 許斐本家(このみ園)八女市本町126

2016年9月4日日曜日

わすれられないもの 16 漆絵皿四種

冊子「たんえん」7月号掲載の記事、「わすれられないもの 16 漆絵皿四種」をお届けします。(集合写真は無地の木皿が加わっています)


いつの頃からか私の手元に集まった、それぞれ異なった漆絵を表に施した木皿四種をご紹介します。小さなもので四寸(14cm)、大きなものでも六寸(20cm)程の、日常の暮らしで広く使われる寸法の品です。焼物で云えば、六寸はパン皿、四寸•五寸は取り皿の大きさです。まずお伝えしたいのは、これらの漆絵が現実の風景や物を写したり下敷きにしてはいても、それが(九州の大産地の一つ有田焼の絵皿などに見られる)写実的な表現としてではなく、(木皿の大きさに納まった、あるいは煮詰まった)工藝的な模様として表わされているところです。更に、その漆絵の「美しさ」をもたらしているものが、後の時代に出現する大量生産の為の「機械」による早くて正確な図柄の繰り返しによってではなく、「人間の手技」の反復によっていると云う「事実」です。これらの漆絵の木皿が何故美しいのか?、との問い掛けに対して、この「事実」が見事に答えていると言っていいかも知れません。


さて、最初に御紹介する仕事は、奈良県の吉野地方で作られた「吉野絵」の木皿(五寸)で、模様は木芙蓉(もくふよう)と言われています。


次は桃の模様の六寸の木皿。


次は、蓼(たで)の模様の五寸の木皿。


最後は、「判じもの」の様な絵が書かれた四寸皿で、上部の白漆で描かれた丸と斜線で山(富士山)、その丸の下と皿の一番下のそれぞれ十本程の白漆の線が(どうやら)湖面を表わし、左端に三つ並ぶのが湖面に浮かぶ帆掛舟。
また同じ三つのものを湖面の上を飛ぶ鶴と見立てれば、一番下の朱漆で描かれた線は目出たい亀の尾とも見え、さらに上の丸と対応する朝日に月とも見えます。皆さんはどうご覧になりますか。