2017年9月19日火曜日

「十八番の会」土蔵二階の様子

昨日お伝えしそびれた「十八番の会」会場土蔵の二階の様子です。

階段を上ると、バッグ類が下がっています
奥の窓際の様子、手提げがたくさん
手摺から下を見ると、一階展示台の様子
二階の奥に進むと
ラフテーブルの上はYAMAYO窯花入れ
壁に下がる手提げ

2017年9月18日月曜日

第五回「十八番の会 • 八女展」始まりました

台風一過の八女はいい天気
五回目の「十八番の会 • 八女展」が始まりました。とは言いながら、初日から近づく台風の影響もあって来て下さる方々もまばらで、せっかく信楽から荷物を持って来てくれた山田洋次さんも手持ち無沙汰でした。しかし、夜は地元八女の康太郎さんと一緒にあれこれの話で盛り上がり、前日に引き続いて連日の午前様でした。会場二階の様子は続編で。

本日、福島八幡に幟も立ちました
大鳥居正面左に控えめなサイン
近づいてみるとこうです
左を見ると、ここが入口です
飛び石伝いに奥に進むと
ここが入口
入ると正面に大木さん制作の
大きな花のモチーフの型染布
入口から奥を臨む
会場中央の展示台
左側壁面の展示
奥を背にして正面を見ると
natsumichiのお二人の型染暖簾
外から見る土蔵の様子
二階の窓際に型染バッグ

2017年9月12日火曜日

第5回「十八番の会」会場の「土蔵」紹介


第五回「十八番の会 • 八女展」開催が近づきました。ここで、今展で使わせて頂く会場の「土蔵」を、皆さんに紹介いたします。福島八幡の参道沿いにあり、外観はこの様に立派なものです。


祭りの期間中は、石の大鳥居の両脇に立てられる白地に大きく墨書された「幟」が目印で、少し手前ですが、鳥居に向かって大体その左横辺り(写真は福島八幡境内側から撮っていますので右手)に位置します。ただ、案内状にも書きました通り、福島八幡秋祭り期間中は両脇に屋台が出店しますから、土蔵の入口がわかりにくいのです。


土蔵脇の板塀を潜り、扉を開けて中に足を踏み入れるとこんな具合。


一階から二階を見上げると、こうです。


一階から二階に掛けて、中央に吹き抜けの空間があり、それを上手く行かした展示が出来れば良いと思っています。


奥が参道に面している大窓です。ここにnatsumichiの型染めとYAMAYO窯の陶器をどう並べ配置するか、大変でもあり楽しみでもあります。今回は、店に出入りする若い人が準備を手伝ってくれると云うので、大いに張り切っています。初日16日はYAMAYO窯
山田洋次さんが在廊の予定です。どうぞ皆様お出掛け下さい。

2017年9月1日金曜日

第五回「十八番の会 - 待ちわびる秋 -」DMの事


いつもの事ながら、一つの催事に向けてDM一枚を作るのはなかなか大変な作業です。次回催事の5回目になる「十八番の会」も、1️⃣まず出品して下さる作り手の方々にDM用の品を送ってもらう様に依頼。

持ち込んだ品を案配良く並べ
照明を調整し
3カット目の出来上がり

2️⃣それが到着したら撮影スタジオに持ち込んで幾つかのカットを撮影。3️⃣終わったらデータの形で私のPCに送信してもらう。4️⃣それを見ながら、DMに付ける文章原稿を作成。5️⃣出来上がったら、写真データと一緒に印刷所に送り版下を作る。6️⃣PCで数回やり取りした後、印刷所に出向いて最終稿を作る。


手順はこの通りなのですが、一つ一つが滞りなくスムーズに運ぶ訳ではありません。DM用の品の到着が遅れたり、撮影スタジオの日程調整が上手く行かなかったり、原稿がなかなか書けなかったり、そんなこんなで品物を送ってもらってからDM出来上がりまで、早くて2週間です。ですから大半の催事の場合、初日のひと月前から作業を始めて、二週間前にはDMが出来上がる様に準備するのです。催事日程変更などもありバタバタしましたが、今回は、1️⃣から2️⃣までが約2週間、2️⃣から6️⃣までが一週間でした。

当初予定していた日程よりも始まりが一週間早まりましたが、いい事もあるのです。最初に「高橋宏家」で催事を始めたのは2010年、「山本教行作陶展•八女展」でした。その時も、初日の食事会の時に矢部川の花火大会が重なり、嬉しい思いをしたものです。今回も初日の16日が、その花火大会で、22日と23日は旧八女郡役所内に移転した朝日屋酒店で「子どもの本や」販売会が開催されたり、同じく22日には旧郡役所の大ホール(?)で映画「ニューシネマパラダイス」上映会、23日は山海塾の岩下徹さんのダンスパフォーマンスが予定されていたりと、盛りだくさんです。もちろん、福島八幡の「灯籠人形」も上演されます。どうぞ、秋の八女を愉しみにお出掛け下さい。

2017年8月28日月曜日

第五回 十八番の会 - 待ちわびる秋 - のお知らせ


           YAMAYO窯•山田洋次とnatsumichi•大木夏子 北澤道子

ひときわ暑かった今年の夏、皆さま如何お過ごしでしょうか。お伺い申し上げます。さて、今年も9月22日から24日まで行われる八女•福島八幡の秋祭にあわせて五回目の「十八番の会」を開催いたします。今展は信楽•山田洋次さん(1980年生)の焼物と、このところ「十八番の会」ですっかり常連になった感のあるnatsumichiの大木夏子 北澤道子 お二人の型染作品を見て頂きます。● 福島八幡秋祭開催中の22日から24日まで、八女福島と天神バスセンター間に直行バスが走ります。お問い合わせは九州高速バス(0120-489-939)まで。
●21日夜は灯籠人形の口開け公演、そして祭り期間中は、1日5•6回の灯籠人形の公演が行われます。● 今年の会場は、これまで使わせて頂いて来た「高橋宏家」母屋の南側、福島八幡参道沿いにある土蔵です。案内の看板は出しますが、祭り期間中は出店屋台に挟まれて、会場入口が判りにくいと思います。どうぞ気をつけてお越し下さい。

八女高橋宏家•土蔵 9月16日(土)~24日(日)  
 午前10:00 ~ 午後6:00 会期中無休 
 八女市本町103(福島八幡隣 参道沿い) 
 ※会場には駐車場がありません。
 市役所か 伝統工芸館の駐車場をご利用下さい。

福岡あまねや工藝店 9月30日(土)~10月9日(日)
  午前11:00~午後7:00 会期中無休    
  福岡市中央区平尾1-12-2 
  お問い合わせは 電話 092-526-0662 amaneya◎gmail.com
  ご連絡の場合、◎を@に直して下さい。 

2017年8月12日土曜日

多々納弘光さんの事


出西窯創業者の御一人で同人(どうじん)の多々納弘光さんが、6月29日に90歳でお亡くなりになった事を先日知りました。たまたま、あまねや工藝店創業38年目の7月1日が御葬儀で、鳥取の山本教行さんから電話で報せは受けていたのです。私自身、4年前の足の手術以来、車で遠くに出掛ける事がめっきり少なくなって、御自宅へのお見舞いにも伺わず失礼してしまいました。開店以前からのお付き合いを含めると45年以上に渡る御厚誼で、店を始めた’79年以降は展覧会や講演会などで、本当にお世話になりました。ある時期、私にとって出西窯をお訪ねするのは、なにより多々納弘光さんにお会いして話しをする、その楽しみの為でありました。

出西窯創業50年目の年。1997年から翌年の’98年12月に掛け、6回に分けて行った「多々納弘光連続講演会」(註 忘れられないもの27 • 28参照)の折には、「年金が頂ける様になったから」と、文字通り、手弁当で出雲から博多まで話しに来て下さいました。
それもこれも、ご自分の経験した事を後に続く人達に伝えなければ、と云う強い使命感に基づくものであったのでしょう。
有り難いご縁でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

2017年7月31日月曜日

忘れられないもの 28 リーチさんの言葉 2


工藝の世界に関わる人間、特に「作り手」にとって、一番の念願は「良い仕事(人々の暮らしのために役に立つものを作る、と云う素直な思いで無心に作る仕事 ー 多々納弘光連続講演会濱田庄司篇ー )」を自分の仕事として具体的な造型(かたち)にする事、でしょう。しかし、これが決して易しくはない事も、また銘々が充分にわきまえている筈です。では、一体どうすれば、目の前の高い壁(言わずもがなですが、この壁は自意識と云う名の、自らが作り出したものである訳です)を乗り越えて「彼方(良い仕事)」にたどり着けるのか?今回は、この事を考える手掛かりとして1978年に出版されたB•リーチの著書 「Beyond East & West 東と西を超えて 」の中に出てくる言葉 「 Life itself 生命そのもの 」を、皆さんにご紹介したいと思います。

日本語訳の「東と西を超えて」(日本経済新聞社1982年刊)で申しますと、231頁の後半から234頁前半に掛けての数頁と、最終章に近い「日本の工芸家への別離の手紙」の391頁に次の様に書かれています。「この時、何か新しいことが起こりました。ー 活きた陶器が生まれたのです。<中略> 芸術家(註 リーチさん)が自分の孤立を忘れ、真であり美である目的物のために団結出来、また団結するつもりの工芸家たち(註 後述の舩木さんや出西窯同人)と完全に協力することができる時、
ある<力>が自動的に発現した ー それが<生命そのもの>なのでした。」

少しわかりにくい日本語ですが、これは出西窯(しゅっさいがま)の多々納弘光(ただのひろみつ)さんの講演記録によれば、1964年10月16日の午後の事で、リーチさんの他に布志名(ふしな)の舩木研児(ふなきけんじ)さんと出西窯の同人仲間とで取り組みが行われています。
前日、リーチさんによって描かれた紅茶碗や水差しなど数種の食器の指図書を元に、「 例えば取っ手の場合は、木から枝が生える様に、とか、或はこういう処は、足のくるぶしの曲がったような線をだせ、とか <中略> 体や自然のものになぞらえて、指示をされました。
ですから、とてもわかり易かった。その日は午後から夜に掛けて、
どんどんどんどん作り、私達も何となく楽に出来る様になりました。
<中略> お酒も飲まないのに、皆が本当に酔った様な喜びの時間を過ごしました。」と、こう記(しる)されています。

この時に作られたものが、先に触れた「活きた陶器」であり、それを産み出した力あるいは産み出されたものが、「Life Itself 生命そのもの」と表現されている言葉である訳です。
1954年に出版されたリーチさんの著書「日本絵日記」の中で、日本の陶工達が、自分の作った物をそっくりそのまま真似る(サインまで)のに、辟易する様子が書かれています。そんな、自他ともに認める「芸術家」としてのリーチさんが、この時は「自己表現」への執着を捨て、ひたすら「良い(人の役に立つ)」仕事を目指し、また他の共働作業者達もそれに歩調を合わせて仕事をした結果、実現(文中の言葉を使えば「発現」)し得た「 Lifeitself 生命そのもの」であった訳です。

この事は「民藝の世界」にとって、真に大きな意味を持つ出来事であったと思います。幾つかの条件付きであるにしても、深い愛情と信頼関係で結ばれた師匠と弟子であれば、自意識の固まりである現代人ですら「活きた陶器」が、こうして産み出せる可能性を示し得た訳ですから。しかし、この後「出西窯」で、次々に「活きた陶器」が産まれ続けた訳では勿論なく、多々納さん自身、同じ講演記録の中で「しかし、この問題は、現に現在の私達の仕事を振り返ってみましても、決して卒業出来ているものではありません。自分のわがままの中でしかものが出来ていないのが実情です。 」と正直に述べています。


今回、皆さんに御紹介する三種の品々は、この「生命そのもの」の輝きに満たされている仕事です。初めはインドネシアの樹皮の曲物の物入れです。蓋の上部と底板は加工した板をそのまま使い、被せ蓋と胴の部分は樹皮の曲物で、それを合わせる為に籐を上手く使っています。(高さ 23cm 径28cm) 


次は、朝鮮•高麗時代の丼ほどの大きさの象嵌の碗です。碗の縁から少し下がった処と、見込みの心持ち外側に引かれた数条の白い象嵌の線が、この碗の中の景色を生々と引き立てています。
(高さ 9cm 径 18cm) 


最後は、福島県会津本郷(あいづほんごう)の飴釉の切立甕(どうやら漬物用)です。小さな火鉢程の大きさで、朝鮮の鉄瓶と合わせて点茶に使ってみたい品です。(高さ 22cm 径 25cm)

8月11日 追記 今回の原稿は、自分で読み直すたびに何か不十分で本意をお伝え出来ていない気がして、ここ10日間で何度も手を入れました。従って、何度かこの文章を読んで下さっている方があれば、読む度ごとに、細部が少しづつ違う事にお気づきだった筈です。

2017年7月25日火曜日

小鹿田焼復興支援についてのお願い


約3週間前の7月5日から6日未明に掛けて、北部九州は処により時間雨量100mm超の激しい雨に見舞われました。この雨により、日本を代表する民窯「小鹿田焼」の里も大きな被害を受けました。日田の町から小鹿田に上る手前の集落の小野地区は、山の斜面の大規模な崩落により土砂ダムが出来、下流の住宅には一時「避難勧告」が出された程です。迂回路が出来て、ようやく交通の便は確保されたと聞いていますが、復旧作業がすぐに始まったにしても、災害前の旧状に復するのにどれほどの時間が掛かるのか見当もつきません。先週金曜日21日から、復興支援の為の基金を広く募るために下記の口座が設けられました。皆様方にもご支援をお願いすべく、この小文を書きました。詳しくは下記のサイトまで。

http://ontayaki.support

2017年7月17日月曜日

忘れられないもの 27 リーチさんの言葉 1


先の大戦後間もない1947年に5人の若者によって始められた出雲の出西窯(しゅっさいがま)。その出西窯初訪問の事や仕事については、すでに本稿「忘れられないもの 23」で取り上げました。ところで、その出西窯窯創業から50年目にあたる1997年12月から翌年12月にかけて、当店主催で創業者5人の同人の御一人•多々納弘光(ただのひろみつ)さんに、同窯に縁の深い(多々納さん仰るところの)「お師匠樣方」、河井寛次郎(かわいかんじろう)、濱田庄司(はまだしょうじ)、バーナード•リーチ〈以上、陶芸家〉、吉田璋也(よしだしょうや)〈鳥取民藝美術館初代館長•鳥取民藝協団創設者〉、村岡景夫(むらおかかげお)〈日本民藝協会専務理事〉、外村吉之介(とのむらきちのすけ)〈倉敷•熊本国際 両民藝館初代館長〉、柳宗悦(やなぎむねよし)〈日本民藝館初代館長〉、山本空外(やまもとくうがい)〈浄土真宗僧侶〉の8人の方々について、6回に分けて講演して頂いた事があります。多々納さんの手元に残されている当時の日記を始めとした数々の記録と縁(ゆかり)の品々を元にして、毎回、興味深い、面白くも感動的な話をその場に集まった者達に熱心に語って下さいました。

その連続講演会の3回目にお話し下さった英国の陶芸家B•リーチ氏(以後、リーチさん)の時も、1954年から始まる出西窯との縁の事。また、リーチさん5回目の来日になる1964年には、出西窯に丸二日間滞在し、仕事の手本になるカップやジョッキにポットそしてピッチャー等、たくさんの作品や指図書など、宝の様な品々を出西窯に残している事などが語られました。そして、今回皆さんに是非お伝えしたいと私が思った言葉が、後年リーチさんが亡くなった時に多々納さんが書かれた追悼文の題名、「この茶碗に唇を触れて喜びがあるか?」(これはリーチさん御自身がよくそう仰っていたのを思い出しながら書いたと多々納さんは仰っています)なのです。

この言葉自体、極めて感覚的な言葉の様に聞こえますが、実作者としてのリーチさんならではの言葉で、作り手の側から見た工藝品の道具としてのあるべき姿を、実に判りやすい言葉で表わしている様に私には思えます。これは、7回目の来日時の1966年11月12日、松江で行われた「歓迎会」席上での卓話。当日参加の多かった作り手に対して語られた言葉である、「みんな、自分で使って自分で喜びを確かめながら作れ。自分の作ったカップに唇を当てて喜びがあるかどうか。手に温もりが伝わるか。」とも重なって、深い印象を残す言葉になっています。しいて言えば、厳しい眼に適う美しいものは、人間の五感に働きかけて身内に「喜びの感情」を引き起こすものだ、心して作りなさい、位の意味になると思います。


さて、今日皆さんに御紹介する三種の茶碗、二つの刷毛目碗
(左 径17cm 高7cm 右 径18cm 高7•5cm)は李朝時代の鶏龍山
(けいりゅうさん)のもので、右の碗は特に出西窯の引刷毛目碗の原型の様な仕事になっています。


李朝の無地刷毛目の様に見える碗(径17cm 高7cm)は、魚文皿の仕事で知られているタイのスコタイの窯のもので、先の朝鮮の碗と比べて見ると、材料の土が全く別物です。
いずれも唇に触れて味わいたい趣を持つものです。

2017年7月4日火曜日

わすれられないもの26 軟陶の焼物三種


今回、皆さんに御紹介する「軟陶の焼物」とは、比較的低火度で焼かれた焼物の総称で、日本の楽焼や中国の唐三彩がそれにあたります。以前、この欄で御紹介した「アフガンの古鉢」もそうです。ただ現在、普通の家庭の食器棚の中は、硬質陶器や磁器と呼ばれる硬めの壊れにくい食器類がほとんどで、「軟陶」と呼べるものがあるとしても、日本ですら「土鍋」くらいでしょう。しかし、世界にはまだまだ「軟陶の焼物」が沢山あるのです。試しに、当店在庫の「軟陶」生産国を順不同で挙げてみると、イラン•インド•アフガニスタン•インドネシア•ビルマ•トルコ•ペルー•メキシコ•エクアドル•スペイン•ルーマニアそれに日本の12カ国。「硬質陶器や磁器」は、中国•韓国•タイ•日本の4カ国、と「軟陶」の三分の一です。
ただ、これを世界の市場で流通している数で比べると「硬質陶器や磁器」が逆転し、圧倒的多数です。何故か、と考える事もないくらい理由は明々白々です。機械工業的な技術(例えば、焼成の際のトンネル窯など)に下支えされた「硬質陶器や磁器」の大量生産と低価格、これにつきます。一方、「軟陶」生産国の数が多いのは、材料の陶土と技術に長けた陶工さえいれば、比較的簡単な設備で地域の実情に応じた制作が出来るからでしょう。


さて、最初に御紹介するのは、スペインの四耳壺(口径 38cm 高さ 27cm)です。堂々とした体に立派な耳がついています。30年以上前に手に入れました。


次は、インドネシアの黒陶の鉢(推定 径 26cm 高さ 7cm)です。一見すると、質感が石を思わせる品で、中には「擂り目」の様な筋が横に入っています。古窯系の擂鉢を彷彿させる魅力的なものです。


最後は、トルコの小壷(大 口径13cm 高さ 22cm  小 口径 8cm 高さ 14cm 推定)です。仕事を始めて、4•5点しか類品を見た事がありません。数が少ないのは、実用陶でありながら軟陶なので、大半は壊れて残らなかったのかもしれません。古い時代の信楽(しがらき)の種壷かパナリ焼を思わせる様な仕事です。今の日本で造型される同種の写しに比べて、邪気が感じられないのが不思議です。(品物のサイズで推定とあるのは、現在手元にない為です、あしからず)

2017年7月3日月曜日

「西川孝次吹きガラス展」始まる


梅雨が明けた様な厳しい暑さの7月1日。無事に「西川展」の幕を開けました。空調の電源を未だ入れておらず、汗を拭き拭きの初日になりました。幸い、たくさんの方々にお出でいただき、西川さんの吹きガラスの仕事に関するおしゃべりも絶好調でしたよ。

一 • 二階踊り場の様子
二階正面の様子、三点の絵はR • ゴーマン作
正面左右の様子
二階道路側の花々
庭側の花
床や舞台上の西川作品
閉店後、舞台を「吉富」に移して
行われた38年記念の「三店合祝」
「三店合祝」で挨拶する西川さん
会も終わりビールを片手に